2017年07月13日

30回の台湾旅行の分析

今回の台湾旅行は、2001年に初めて台北に行ったのを第1回として、30回目の旅行でした。今までの161回の海外旅行を主な行先国で分類すると、30回が台湾旅行でした。台湾の場合は入国回数も30回です。国によっては、別の国へ行くためにほかの国にも立ち寄ることがあるのですが、台湾の場合は、それがなく、旅行回数と入国回数が一致しています。

この30回の旅行を日数で分けると次のようになります。

taiwan1.jpg

旅行日数では2泊3日が20回で、2泊3日が台湾旅行のデフォルトといえます。とはいえ、丸1日自由になるのが中間の1日だけでは、十分に旅を楽しめないのが本当のところ。自分の場合、旅行できるのが3日間というケースが多いのでやむをえませんが、可能ならば3泊4日の旅をしています。丸1日自由になる日が中間に2日できるので、旅の充実度がかなり変わってきます。3泊4日は7回しています。4泊5日になるとさらに充実した旅ができるのですが、これだけの日数があれば、もう少し遠い東南アジア方面をめざすことが多く、4泊5日の台湾旅行は1回しているだけです。逆に1泊2日、0泊1日(往復とも夜行便利用で丸1日台湾に滞在)という場合も各1回ありますが、積極的にはこの日数で旅行したくはありません。今後もこの日数での台湾旅行は、ほとんど増えないと思います。

次に、台湾での各都市ごとの宿泊回数は下記のようになります。

taiwan2.jpg

宿泊回数67回のうち、半分弱の32回が台北です。残りが地方都市ですが、2番目に多いのが台南であるのが特徴です。台南はB級グルメの聖地のようなところで、食べ物目当てに台南へよく行くため台南が高雄より多く、13回となっています。続いて、台湾第2の都市である高雄が9回、台湾第3の都市である台中が5回となっています。台湾第4の都市が台南です。さらに嘉義と金門島が2回、花蓮、墾丁、阿里山が1回です。また車中泊が1回あります。いまは台湾では夜行列車はほぼ淘汰されましたが、高速鉄道ができる前は、夜行列車も数本走っていて、その1本を使って台北から高雄へ移動したことが1回だけあります。

続いて、台湾旅行で利用した航空会社は次のようになっています。

taiwan3.jpg

JALが圧倒的に多く20.5回です。(初期には日本アジア航空を利用したこともありますが、JALに合併されたので、JALには日本アジア航空を含んでいます) ほかでは、ピーチが多く5.5回です。そのほかの航空会社はあまり利用しておらず、スクート1回、キャセイ1回、ノースウェスト1回、ジェットスター0.5回、バニラ0.5回になってます。

これらのうち、ピーチ、スクート、ジェットスター、バニラのLCC勢が最近増えています。下記は、2012年11月に初めてピーチを利用して以降の航空会社です。直近の約5年間だけで見ると下記のようになります。

taiwan4.jpg

JALとピーチが各5.5回で同数なのが特徴です。ピーチの場合は高雄便の利用が多く、5.5回のうち、4.5回は高雄便です。またスクートが1回ですが、これは高雄便を利用です。また、ジェットスターとバニラが各0.5回ですが、往路がバニラ、復路がジェットスターを使い、0泊1日で台北へ弾丸旅行したときの利用でした。ピーチ、スクート、ジェットスター、バニラをあわせたLCC勢でいうと8.5回で、台湾旅行のさいに利用する航空会社の中でLCCの比重が高まっていることを表しています。

今後の台湾旅行ですが、東部にあまり行けていないので、東部を重点的に回りたいと思います。初日と最終日を高雄と台北として、その途中に、台東、花蓮、あともう1か所程度泊まって、少し長めの4泊5日で旅行できればいいなと思います。また離島も行ってみたいです。澎湖諸島や緑島、それに馬祖島に行ってみたいです。金門島だけはすでに行っていますが、アモイから金門島にわたるルートも経験してみたいです。
posted by とんび at 22:46| Comment(2) | 台湾

2017年07月10日

帰国しました

昨日、台湾から帰国しました。

昨日は朝食のために、今回3店目になる粥のお店にバスに乗って行きました。またもやサハビー粥をいただきました。観光客はほとんど行かないようなお店でしたが、なかなか美味しかったです。

量的に物足らなかったので、そのすぐ近くにも狙っていたお店があったので、サハビー粥2連発ってのも日によっては可能だったのですが、そこは日曜日は営業していないので、昨日はその手はとれませんでした。かわりに駅前までバスで戻って、歩いて台南駅の裏側(東側)のエリアにある豆漿のお店に行きました。そこで豆漿や焼餅などを外帯(テイクアウトのこと)しました。そしてホテルの部屋でいただきました。でも、時間がたつと豆漿も焼餅も美味しさがどんどん失われていきますね。お店で食べる人が少数派のお店でしたが、やはりお店ですぐにいただくのが正解だと思いました。

自室で外帯したものと、ホテルの朝食券でもらった飲物をいただき、帰国準備。4日間にわたって、ハーフパンツにサンダル姿でしたが、片付け、日本での姿に戻りました。そして、前日に買っておいた指定券で高雄へ向かいました。高雄ではまったくどこにも立ち寄らず、MRTで空港駅に直行しました。まだチェックインに時間になっていなかったので、しばらく並びました。

出国手続きのさいには、今までと大きく違う点がありました。2つ前にアップロードした記事(「台南より」)のコメントでトーフスキーさんから教えていただいていた通り、外国人用の出国ゲートに自動化ゲートができてたのです。指紋をおすだけで、ゲートが開き、制限エリアに入ることができました。パスポートも常客証もいりません。入国のさいに指紋をとられた指が必要なだけです。この自動化ゲートは、常客証をもっている客だけに開放されているのではありません。外国人の出国客全員を対象にしています。出国時にはまったく並びませんでした。

そのあと、プレイオリティパスを利用して、モア・プレミアム・ラウンジに入室して昼食をいただきました。そして、ピーチで帰国しました。最近はLCCもしばしば利用するのですが、飛行中、何もしないでひたすら待ち続けるのはつらいものがあります。帰国後は、大雨のためにJRでは運転停止の列車があったり、かなり遅い出発になった便がありました。

現在、旅行記は3か月ほど遅れての出筆になっています。いまは3月のベルリン旅行記ですが、引き続いて5月のバンコク旅行、そして、そのあと台南旅行記をつくっていきます。なお、本日、旅の日数と旅の概要。宿泊の記録、オフ会のページなどを一部書き換えました。
posted by とんび at 21:44| Comment(2) | 台湾

2017年07月09日

台南でオフ会

旅行2日目と3日目は台南滞在でしたが、スペシャルイベントがありました。台湾旅行中のネット友のkimcafeさんとオフ会を行ったことです。kimcafeさんとは、2012年に台北で、2014年にバンコクでお会いしてオフ会をしていますので3回目になります。それ以外にも国内のオフ会でお会いしています。今回は2日間続けて夕食をご一緒させていただくうえ、昼間も一緒に観光することになり、とても楽しみにしていました。

2日目は、朝食を食べにバスで出かけるところからスタートしました。サバヒー粥を食べるためです。台南駅前の鉄道大飯店に泊まっているので、バスでの移動はしやすいです。向かったさきは、今まで行ったことがない粥の店。サバヒー粥とサバヒーを焼いたものをいただきました。バスでホテルに戻ったあと、ホテルの朝食券を使いました。ホテルの1階にあるコンビニで60元の食べ物を買える券と同じく1階にあるコーヒーショップでコーヒーなどと引き換える券です。それらが2枚づつ。食べ物は土産用の食品を買いました。飲み物は1つをすぐに飲んで、もう1つはホテルに戻ってきたときに飲むために冷蔵庫に入れておきました。

そして、バスで玉井、そのあと新化に向かいました。玉井、新化は昨年の12月に訪問しています。7ヶ月の間隔で訪問したのは、玉井は台湾を代表するマンゴーの産地なのですが、前回の訪問時にはマンゴーのシーズンではなく、マンゴーかき氷を出している店もほとんどなく、かろうじて農会のレストランで冷凍のマンゴーを使ったかき氷をかろうじて食べることができただけでした。それで、ぜひマンゴーのシーズンにまた行ってやるぞと、そのときから今年の夏はリベンジすることを心に決めていました。希望どおりマンゴーかき氷食べることができましたし、マンゴーであふれかえる青果市場を見学もしました。新化は玉井のついでに再訪問したわけですが、前回は行けなかったところに行けたり、前回は知らなかったので食べることができなかったものを食べたりできました。

台南に戻り、しばらく休んだあと、kimcafeさんと食事をする約束をしていたレストランへ向かいました。食事をしながら旅行の話や人生の話をつきることなく続けました。2時間ほどお話をして別れました。このあと駅前まで戻り、大東夜市に行ってきました。台南の4大夜市は一通り制覇しているのですが、滞在中に1回くらいは夜市に行こうと、この日に開催されている大東夜市に行きました。バスで往復したのですが、バス待ちの時間が長かったり、夜市がすさまじく混んでいて、一通り回るだけども時間がかかりました。ホテルに戻ったのも遅く、風呂にもはいらずに眠ってしまい、旅の報告もブログでできませんでした。

3日目は、バスでサバヒー粥の店に行き、ホテルに戻ってから朝食券を使ったのは2日目と同じです。ただ、サバヒー粥の店は2日目とは違う店に行きました。

このあと、kimcafeさんと一緒に麻豆に行ってきました。麻豆は台南の北のほうにあり、台南市の範囲にはふくまれていますが、行くのがちょっと不便です。行きは台南駅前から直通のバスで行きました。麻豆に到着後、麻豆代天府を目指しました。徒歩で30分弱でしたが、33度の炎天下を歩くのは辛かったです。麻豆代天府は、変わりもの寺院として知られています。地獄巡りが名物なのですが、怖い展示をしているのに、涼しくて極楽に思えました。寺の中を見て回るのに1時間くらいかかりました。暑い中を麻豆の中心まで戻り、昼食をとってから、台南に戻りました。帰りは、バスを途中の善化で下車し、列車で台南に戻りました。列車はさすがはやく、バスだと1時間かかる区間を25分でもどれました。

台南に戻ってから、しばらくホテルで休憩。その後、kimcafeさんと夕食です。夕食時間まで間がありましたので、待ち合わせ場所に直接向かうのではなく、途中散歩しながら向かいました。台南の街歩きは何度かしているのですが、変わっている点を発見できたりしました。食べたいものもあったのですが、このあと夕食なので、食べるのは控えました。待ち合わせ場所で合流したあと、路上にテーブルを出している居酒屋に向かいました。前日、そしてこの日の昼間と話続けていましたが、まだ話題がつきることはなく、2時間ほど食事をしながらお話ししました。kimcafeさん、ありがとうございました。

この日も夜市に行こうかとちょっと考えましたが、かなり疲れていたのやめました。いま書いているブログの現地報告を書きたかったこともあります。きょうは、帰国ですが、台南を出発するまでに少し間があります。朝食を食べに外出し、そのあと帰国の途につこうと思います。
posted by とんび at 07:06| Comment(0) | 台湾

2017年07月07日

台南より

台南にきています。昨日は、ピーチで関空から高雄へ。関空の第2ターミナルの国際線用のビルが新設されてからは、はじめてのピーチです。2月にも高雄に行っているのですが、そのときはスクートを利用しました。その直前に第2の国際線が新しくできたビルに移転していました。

昨日は45分くらい遅れての出発になりましたが、余裕時分をかなり取ってあって、到着は10分遅れですみました。入国審査場は混んでいて、また常客証の場合、高雄では専用レーンが以前はあったと思うのですが、昨日は、台湾人、台湾居留者と同じレーンに常客証も入れられていました。そのため、5分くらい待ちました。通常の外国人レーンは20分くらいかかりそうでしたから、それよりは早いですが、専用レーンでほぼ並ばずに、っていうわけにはいかなくなりました。

税関をでると、目の前に携帯ショップがあるので、simを買いました。景品をくれたので、それはよかったのですが、景品に気をとられてしまい、電話番号などが書かれているパッケージを持ち帰るのを忘れてしまいました。このあとMRTで高雄駅へ。今回は高雄にはまったく立ち寄らず、直近の列車で台南に向かいました。

台南到着後、ホテルでひと休み。ネットを試してみたら、使えない遅さでした。simを使って、デザリングをすることによって、そのときはしのぎました。現在は使えていますので、同時に使っている人が多かったのかもしれません。

しばらく休んだあと、グルメ探索に出発。昨日は、西小門ちかくを巡りました。えび肉圓、牛肉湯、水[米反]粥、えび飯と回りました。以前、自動販売機のミルクティーが早朝に売り切れるというのが話題になりましたが、その自動販売機はすでになくなり、かわりに実店舗で売られていることがわかり、その店でミルクティーを買って帰りました。昨日は徹夜で旅行の準備をしたので、ホテルに戻ってから眠ってしまい、夜中に起きた状態です。
posted by とんび at 04:42| Comment(10) | 台湾

2017年07月04日

壁を探して歩き回る

ベルリン旅行記2日目3回目


german3253.jpg

 ポツダマープラッツから500mほど歩くと、壁が残されている区間がある。この付近は壁の向こう側が旧東ベルリン、壁の手前は旧西ベルリン。西ベルリン側には、ナチス時代に秘密警察(ゲシュタポ)や親衛隊(SS)の本拠地である国家保安本部が置かれていた。その跡地には「テロのトポグラフィー」という名の博物館ができている。ここでいうテロは恐怖、トポグラフィーは、分析、解説というような意味で使われているようだ。


german3254.jpg

  壁に沿って、内側(西ベルリン側)には、国家保安本部にあった地下牢が残されていた。牢の区切りがわかるでけで、牢の入口は封鎖されている。22年前に行ったときには整備されていなかったのだが、現在では見学しやすく保存されている。


german3255.jpg

 「テロのトポグラフィー」博物館。ナチス時代である1933年から1945年の歴史の展示で、特にナチスによる反対派の弾圧などに重点を置いている。


german3256.jpg

 写真展示が多いが実物もあって興味深いものもいろいろあった。それほど大きくない施設だが、一通り見学するのに2時間近くかかった。


german3257.jpg

 「テロのトポグラフィー」付近の壁は300mほど残されているが、すでに壊れている部分もあった。午前中に行ったベルナウアー通りの壁に比べると保存状態が良くない。


german3258.jpg

 レストランだろうか。チャーリー検問所のほうに向って歩いていると、トラバントが空中に置かれていた。郵便局の車として利用されていたトラバントのようだ。


german3259.jpg

 さらに歩き進むとチャーリーチェックポントに到着。右側が西ベルリンの米国占領地区、左側が東ベルリンのソ連占領地区だった。当時の検問所を再建したものだが、意外に小さな小屋だと思った。米兵に扮した人もいた。

 チェックポイントの向う側の建物が「壁博物館」。22年前に訪問したが、またやってきた。


german3260.jpg

 車に中に隠れて西側に脱出した人の展示。


german3261.jpg

 出入口付近には壁の一部も保存されている。


german3262.jpg

 最寄りのコッホシュトラッセからUバーンで南下。狭いホームに売店があった。


german3263.jpg

 テンペルホフでSバーンの環状線に乗り換える。ベルリンの環状線の南側の駅だ。


german3264.jpg

 環状線はRingだが、時計まわりはS41、反時計まわりはS42と系統番号が異なっている。また、環状線からほかの路線に直通する系統も運転されている。例えば、シェーネフェルト空港行きの系統などが書かれている。環状線とは限らない野で、乗車には注意がいる。 


german3265.jpg

 テンペルホフを出てすぐ、線路の北側に、かつてのテンペルホフ空港の跡地が広がっている。


german3266.jpg

 テンプタワー駅。ここから15分ほど歩く。


german3267.jpg

 やがてシレジア・ブッシュの監視塔に到着。付近には壁は残されていないが、監視塔だけが保存されている。夏季にはこの中に入ることもできるようだが、行ったときは閉鎖期間であった。


german3268.jpg

 今はのどかに流れているこの川の左側の川べりに壁があった。壁の内側には緩衝地帯があり、その中に監視塔があったのだ。


german3269.jpg

 シュプレー川。ここでは川の右岸に沿って壁があった。


german3270.jpg

 川の右岸の壁は残されていて、壁には落書きも描かれたままになっている。それでイーストサイドギャラリーと呼ばれている。イーストサイドギャラリーのはじまりの部分。

german3271.jpg

    上左  恐らくこの絵がイースストサイドギャラリーで一番有名な落書きだろう。ロシアのブレジネフ書記長と東ドイツのホーネッカー書記長の熱いキス。ロシアでは親愛の証であるらしいのだが、ドイツではそんな習慣はなくつきあわされた感じだ。


german3272.jpg

 イーストサイドギャラリーの最後の部分。


german3273.jpg

 まもなくオスト(東)駅に到着。22年前にはオスト駅からラピチッヒなどへ出かけた。東西分断時には東ベルリンのターミナルになっていて、統一後5年後に利用した時も、旧東ドイツ方面へのICE、ICはこの駅を起終点としていた。その後、中央駅ができ、ターミナル機能が移された。いまは中間駅になったっが、大駅であることには変わりがない。


german3274.jpg

 オスト駅構内のビアホールで夕食をとっていくことにした。


german3275.jpg

 ビアホール内はかなり混雑していたが、空席を見つけることができた。 


german3276.jpg

   黒ビールを注文。


german3277.jpg

 ケチャップにカレー粉をかけたソーセージであるカレー・ブルスト。


german3278.jpg

 ツォー駅まで戻るのに、中距離列車ノツォー駅行きがあったので乗車。本来はツォー駅を経由してもっと遠方の駅に向かう系統だが、夜になってツォー駅止まりになっていた。


german3279.jpg

 車内はガラガラ。2階建て電車で2階に乗車した。

german3280.jpg

 ツォー駅に到着。ホテルに戻り1日が終了。
posted by とんび at 00:00| Comment(0) | ドイツ

2017年07月02日

アレクサンダー広場からポツダム広場へ散歩

ベルリン旅行記2日目2回目

german3225.jpg

   ベルナウアー通りを歩いて、Uバーンのベルナウアーシュトラッセまでやってきた。約1kmにわたって、壁または壁の高さの鉄棒があったのだが、途中の見学個所が多くあり、1時間半ほどかけてじっくり歩いた。

 写真はUバーンの地下駅に下りるところで撮影。右手が旧西ベルリン。


german3226.jpg

 Uバーンの車両はどの路線もほぼこのような車両。


german3227.jpg

 アレクサンダープラッツで下車。


german3228.jpg

 アレクサンダープラッツ周辺は旧東ベルリンで最大の繁華街であったところ。今もベルリン東部の1つの中心になっている。

 テレビ塔。東ドイツ時代のもので、時代を感じさせる形をしている。さかんに宣伝をしていたので、時間の余裕があれば、上ってみようと思ったが、上がるだけの時間はなかった。


german3229.jpg

 世界時計。数字の書いてある部分が動いて、世界各地の時間を表示するようだ。旧東ベルリン時代には、これも名所的な存在だったのだろう。


german3230.jpg

 世界時計の都市名の表示のひとつ。ピョンヤン、東京、ソウルとなっていて、東ドイツらしさを感じさせられる。


german3231.jpg

 大通りを歩いて、ブランデンブルク門まで4kmほどを散歩することにした。

 マルクスとエンゲルスの銅像。この銅像は、22年前には別の場所にあったのを覚えていたのだが、今回は大通りからすぐにわかった。移転させてでも保存しているのは、現ドイツでも偉人の扱いをしているからだろう。東ドイツの痕跡はなんでもなくそうというわけでもなさそうだ。


german3232.jpg

 シュプレー川。時間があれば遊覧船にも乗ってみたかったのだが、これも時間がなくて無理だった。川の向かいのビルの最下層(道路よりも低いので地下1階)にDDR博物館がある。


german3233.jpg

 DDR博物館。東ドイツの当時のものを集めたような博物館。DDR(デーデーエル)は、Deutsche Demokratische Republik(ドイツ民主共和国)。


german3234.jpg

 東ドイツの量産車トラバント。長らくモデルチェンジされていなかったので、走行性能も安全性もデザインも劣り、統一後は急速に淘汰された。その後環境基準を満たしていないことから走行が禁止され、博物館行きになった。


german3235.jpg

 アレクサンダー広場から歩いてきた大通りは、カール・リープクネヒト・シュトラッセ。第一次大戦後のドイツ革命で活躍した共産主義者の名が、今も残っている。


german3236.jpg

 22年前には、共和国宮殿とも呼ばれた旧東ドイツの国会議事堂があった。統一後、アスベストが利用されていたので、破壊も利用もされずに建っていた。今は破壊され、そのあとに、ベルリン宮殿の再建工事が行われていた。ベルリン宮殿は、かつてのプロイセン王、さらにプロイセンを中心に統一されてできたドイツ帝国皇帝の王宮であったが、第2次大戦時に破壊された。その後、旧東ドイツ時代は、マルクス・エンゲルス広場になってうたが、1970年代に共和国宮殿が建設された。


german3237.jpg

 ベルリン宮殿の建設現場の端には、工事の宣伝のための施設があり、宮殿の模型などが展示されていた。


german3238.jpg


 さらに歩き進むと、東西分断以前には繁華街であったウンター・デン・リンデンにやってきた。道路は広いが、華やかさはない。


german3239.jpg

 22年ぶりにやってきたブランデンブルク門。前回に比べて観光客も少なく、落ち着いた感じになっていた。前回は、まだ壁の崩壊の余韻が残り、壁の象徴であったこの門が観光地化されていたのだろうが、いまは熱気も冷め、静かになったのであろう。


german3240.jpg

 Reichstag(国会議事堂)。ドイツ帝国の時代からの議事堂で、現在もReichstagを直訳すれば帝国議会となる。分断後、議会としては利用されていなかったが、統一後ただちに、国会議事堂として使われるようになった。その後、整備が行われ、中央にガラスドームが設置された。無料で見学できるが、予約が必要で、旅行前に予約を試みたが、予約できなかったので、見学はあきらめた。


german3241.jpg

 ブランデンブルク門から西に少し行ったところに、ソ連軍の戦勝記念碑がある。分断時代は、西ベルリン内にある東側の飛地として、ソ連兵が警備していた。22年前に行ったときには、まだソ連の戦車などが残されていて驚いたのだが、今回もまだ戦車などが残されていた。


german3242.jpg

 記念碑にあるロシア語の碑文。


german3243.jpg

 ソ連軍の戦勝記念碑。現在でも連合軍の戦勝記念日である5月8日にはここで式典が開かれる。

 小さな博物館があったが、中には入れなかった。その外側には、写真展示があり興味深く見ることができた。


german3244.jpg

  いったんブランデンブルク門まで戻り、かつての壁の跡に沿って南に向った。写真で道路の真ん中に埋められているブロックが壁の跡を表す。かつての壁の跡の道路は幹線道路になっていた。


german3245.jpg

 壁の東側にあたるところに、何やら無数の四角い石が置かれていた。ホロコースト記念碑だ。


german3246.jpg

 ポツダマープラッツ。壁のあったころ、広場自体が分断されていた。22年前には盛んに工事が行われていた。今は高層ビルが林立し、統一後ベルリンで最も変化が著しい場所かもしれない。


german3247.jpg

   ポツダマープラッツでも壁が少しだけ残されている。地面の線が壁の跡を示している。


german3248.jpg

 ソニーセンター。屋根がテントになっている。プツダマープラッツのひとつの中心になっている。


german3249.jpg

 ソニーセンターで昼食をとっていくことにした。入った店はリンデンブラウ。 


german3250.jpg

 ニシンの酢漬けとジャガイモと生野菜。12.5ユーロ。3枚におろしたニシンを酢につけただけのもの。単純な料理だが、あっさりしていて美味しい。


german3251.jpg

 ドイツへ来て初のビール。自家製のベルリナー・ピルスナー。8ユーロでほかのビールより少し安いので選んだのだが、すっきりした感じの美味しいビールだった。


german3252.jpg

 食事後は壁跡に沿って散歩再開。水道管が上空に設置されているのが面白い。どうしてなのだろう。
posted by とんび at 21:54| Comment(0) | ドイツ

2017年07月01日

ベルリンの壁に対面

ベルリン旅行記2日目1回目

german3201.jpg

 2日目は22年ぶりにベルリンの壁を見に行った。22年前の1995年は、ベルリンの壁がなくなってまだ6年しか経過していなかった時点で、何ヶ所も壁が残っていたようだが、現在は保存目的で残されているいくつかの場所だけになっている。反面、22年前は未整備だったものが、現在は整備されて、見学しやすくなっているようだ。

 壁を見に行く前に、ツォー駅の構内で朝食。BACK WERKというパン屋のチェーン店に入る。構内にはほかにもパン屋があったのだが、この店は、セルフで選べるので、言葉を気にせず、値段の計算もしながら、自由に選べるので、この店にした。


german3202.jpg

 ベーコンと卵のサンド、ハムとレタスのサンド。コーヒーも自分で機械を操作してカップに注いだものをレジに運んで精算するしくみだ。連日、BACK WERKで朝食をとったのだが、10ユーロでおつりがあるか、もう少し必要な程度。調理パンは日本よりも少し高いと思う。


german3203.jpg

 ツォー駅というのは略称で、正式名はZoologischer Garten(動物園)。22年前に訪問したときには、島式ホームのさほど大きな駅じゃないのに、旧西ドイツ方面からのICE、ICの多くは、この駅が起終点になっていた。ベリリンが東西に分れていた当時、この駅が西ドイツと西ベルリンを結ぶ列車(東ドイツ内では乗降できないので封印列車とよばれたらしい)の起終点になっていた名残で、東西ドイツが統一してから5年後の訪問だったにもかかわらず、西ベルリンを代表する駅であった。その後、ベルリン中央駅ができ、ツォー駅は単なる途中駅になっている。


german3204.jpg

 ツォー駅から乗車したSバーン。ドイツの大都市ではSバーンとUバーンの鉄道があり、Sバーンが国鉄の近郊電車、Uバーンが地下鉄である。同じ区間を走る場合でもSバーンのほうが駅数が少ないので、このときもSバーンを利用した。


german3205.jpg

 Sバーンの車内。この旅ではいろいろな路線のSバーンに乗車したが、ほぼこのタイプの車両だった。22年前は、旧東ドイツ製の古臭い車両がほとんどだった。当たり前だが、大きく変わっていた。


german3206.jpg

 フリードリヒシュトラッセで下車。この駅は、東西べルリンに分れていた当時、西側と東側の接点になっていた駅で、当時の設備も見学できるようになっているので、今回の滞在中に見学するつもりだ。


german3207.jpg

 フリードリヒシュトラッセの地下駅から別のSバーンに乗車。この路線は分断時はUバーンだったのだが、現在はSバーンになって、かつては市内だけを運行していたのが、現在は郊外へ直通している。


german3208.jpg

 2つ目のノルトバーンホフで下車。


german3209.jpg

 この駅は、分断時代は「ガイスターバーンホフ(幽霊駅)」と呼ばれていた。西ベルリンから東ベルリンを経由して西ベルリンに向うUバーンが3路線あったのだが、それらの路線では、壁があった当時、東ベルリン内の駅は停車せずに通過した。こうした東ベルリン内の駅は警備の兵士以外は立ち入ることができず、廃墟と化していったのだ。例外がフリードリヒシュトラッセで、この駅だけは、東西を行き来する人のために停車した。


german3210.jpg

 ノルトバーンホフの地上の駅舎。


german3211.jpg

 分断当時の駅舎。入口や窓がブロックで閉じられている。


german3212.jpg

 駅の前の道路を渡ると、ベルナウアー通りに沿って鉄棒が立ちならんでいる。鉄棒の高さが壁の高さだ。また、写真の左端を見ると、鉄棒の延長線上にブロックが埋められているのがわかる。壁があった位置を示すためのブロックだ。このブロックによる壁跡の表示は、ベルリン全体でなされている。なお、通りの向うが旧西ベルリン。 


german3213.jpg

 鉄棒が並ぶ区間が終わり、その先には壁が残されていた。壁の最上部は丸くなっていて、つかまりにくくなっている。ここの壁は200mほど続いている。


german3214.jpg

 壁の東側は、今は公園になっているが、壁があった頃は緩衝地帯になっていた。50mほど東側には、内側の壁があり、その間の緩衝地帯を、ところどころにあった監視塔から兵士が目を光らせていた。写真の右側に写っている照明灯も壁があったときのもの。


german3215.jpg

 内側の壁は壊されてその残骸が立てられていた。


german3216.jpg

   壁があった当時の航空写真。下側は東、上側が西ベルリン。壁に沿って、西側には道路があり、それがベルナウアー通り。壁の東側に50m幅の緩衝地帯があり、その東に内側の壁があった。


german3217.jpg

 壁があったときの緩衝地帯の写真。


german3224.jpg

 ベルナウアー通りの西側にある、ベルリンの壁記念センター。センターには壁のあった当時の写真などが展示されている。また、上部から壁の跡を見ることができる。


german3218.jpg

 センターの上部から見た緩衝地帯。監視塔も残されている。緩衝地帯の中は、上部からでないと見えない。なぜなら、この付近では、緩衝地帯の東側にある内側の壁も残されているからだ。


german3219.jpg

 1985年には、緩衝地帯に残されていた贖罪教会が破壊された。そのときの写真。

german3220.jpg

 贖罪教会があったところには、「和解の礼拝堂」が建てられている。


german3222.jpg

   東西ベルリンの境界に建物があった場合、壁ができた最初は、東側の窓から飛び降りて西側に逃れた人もいた。そのため、西側に面した窓はブロックで閉鎖された。


german3221.jpg

 その後、境界にあった建物は取り壊され、住民は立ち退きさせられ、緩衝地帯が完成した。かつてあった建物の土台部分の展示。


german3223.jpg

 東側から壁の下を通るトンネルを掘って西側に脱出した人もいる。そのことを示した展示もあった。
posted by とんび at 14:21| Comment(4) | ドイツ

2017年06月25日

8月のインドネシア旅行の詳細を決めて予約

つぎの旅行は7月に台湾に行きますが、そのあと8月上旬の長い旅があります。ここ数年、1年のうちで最も長い旅行ができるのが8月上旬という状態が続いています。昨年はこの時期にインドネシア・バリ島へ行きました。そして、帰国後、すぐに今年の8月上旬の旅行に使う特典航空券の予約を行いました。ANAを利用して、ジャカルタ往復です。ANAのマイルのうちで、今年夏ごろから期限切れになるものがでてくるので、ANA利用を前提で考え、保有マイルの大半を使って、東南アジア方面をビジネスクラス利用で特典をとることにしました。特典をとろうとした時期は、特典航空券がとれるようになるその日から1週間以内くらいでした。東南アジア方面のビジネスクラスはバンコク行きを除いて、まだとれたので、どこにするか迷った末、ジャカルタ行きを確保しました。この時点で今年8月にインドネシアに行くことだけは決まりました。

それから10か月、何もしないまますぎ、いよいよ1ヶ月半先に旅行がせまってきて、10日ほど前から、インドネシアのどこに行くか検討しだしました。
過去にインドネシアへは5回、旅行しています。
1998年 バリ島ウブド
2001年 ジョグジャカルタ
2010年 ジャカルタ
2014年末〜2015年始 スマトラ島ブキティンギ
2016年 バリ島クタとウブド

今回、行先の候補としたのは、バリ島(3回目)、ロンボク島、スマトラ島トバ湖、スラウェシ島タナトラジャ、ジョグジャカルタ(2回目)でした。今までのインドネシア旅行では、ここに行きたいってのがあって、インドネシアの中のどこに行くかということは考えたことがありませんでした。今回は、航空券だけを行先を考えずに確保したので、考えねばなりませんでした。しかも、決定的に行きたいってところがなく、どこも同じくらい、行けたらいいなぁって感じだったので、迷いに迷いました。

結局、今までに行ったことがないスラウェシ島にしました。トンコナンという船型の住居や岩窟墓それにうまくいけば夏季に多いという葬礼を見ることができるかもしれません。葬礼にちょっと引かれたことが第一の選択理由です。1998年にバリ島ウブドに行ったときには、旧王族の大規模な葬礼に遭遇することができました。そのときの印象が強く残っており、ウブドには葬礼が多いと言われる冬季(日本の)にまた行きたいと思っていたことがあるからです。第二の選択理由は、タナトラジャは飛行機でのアクセスができず、マカッサルからバスで10時間程度ゆられてたどりつく場所だからです。この先、バスに長時間乗車しての旅がいつまでもできるとは限らないと思ったことです。とはいえ、2つの理由は、絶対にここでなきゃダメというほどのものでもなく、相対的にここなって選んだ感じでした。

先日、タナトラジャに行くことに決め、そして今日はジャカルタからマカッサル(以前はウジュンパンダンと呼ばれていました)の往復の飛行機をガルーダでとりました。ガルーダインドネシア航空も自分が最初にバリ島に行ったころは評判の悪い航空会社でしたが、最近は以前よりよくなっているような印象があります。ほかのインドネシアの航空会社の評判がよくないので、インドネシア内では相対的によいということもあります。そして、タナトラジャ、マカッサル、最終の夜のスカルノハッタ空港での宿も予約しました。マカッサルからタナトラジャへのバスとタナトラジャでのガイドと車は現地手配です。旅行した方の旅行記を読んでいると何とかなるだろうと思いました。ガイドは当たり外れがあると思うので不安も残ります。でも、なかなか決まらなかった、今年のメーンイベントともいえる旅がだいたい決まってほっとしてます。
posted by とんび at 19:52| Comment(4) | 近況

2017年06月24日

エアベルリンでベルリン到着

ベルリン旅行記1日目3回目


german3128.jpg

 シャルル・ドゴール空港に到着。シャルル・ドゴール空港は、1年3か月ぶり。前回はオランダに行ったときに、往復ともパリ経由にしたので利用している。前回は、度重なるテロの影響で、今までになく厳重な入国審査があり、乗継でどこに向うか聞かれたりした。ところが今回は、昔と同じように、ほとんどパスポートも見ないような入国審査だった。おかげで、スタンプは、普通なら押されないはずの追記欄(パスポートの最初のほうのページ)に押されていた。

 そのあと、ターミナルの移動。ターミナル2Eに到着後、ターミナル3に向う。ベルリンへはエア・ベルリンで向かうのだが、半LCCといえるエア・ベルリンは、LCC用のターミナル3を使うのだ。ターミナル1と2を結ぶシャトルに乗車し、中間にあるターミナル3で下車する。


german3129.jpg

 ターミナル3はシャトルを下車後15分ほど歩かねばならない。通路は屋根はついているが簡素なもの。途中にバスターミナルがあり、シャトルの中間駅はもともとはバスターミナルのために作られたような感じだ。


german3130.jpg

 さらに歩き進むと、幹線道路を横断歩道で渡ったり、高速道路の下の長いトンネルを歩いたりする。


german3131.jpg

 ようやくターミナル3に到着。いかにもLCC用らしい、プレハブ製の工場って感じのターミナルだ。エア・ベルリンのカウンターを探して、チェックイン。


german3132.jpg

 保安検査場で30分近く待たされ、搭乗に間に合うかドキドキさせられた。ぎりぎり搭乗時刻に間に合ったと思えば、それからまた20分待ち。搭乗時刻を早めに指定しているのはLCCによくあることだ。

 搭乗便は、ベルリンのテーゲル空港行きAB8297。


german3133.jpg

 しばらくゲート前で待った。ゲートにはブリッジはなく、このターミナルはバス連絡専用だった。


german3134.jpg

 搭乗機は、エアベルリンの姉妹会社のオーストリアのニキ航空の塗装がしてあった。搭乗するのは純然たるエアベルリン便でコードシェアではないのでニキ航空はエアベルリンと一体化して運航されているのかもしれない。


german3135.jpg

  エアベルリンはLCC的な会社であるが、無料の機内食が提供されるという情報もあって、期待していた。しかし、無料の機内食はなく、有料のものも特に試してみたいものはなく、機内販売では何も買わなかった。買っていた人も少なかった。


german3136.jpg

 1時間40分ほどの飛行でテーゲル空港に到着。着いたのはターミナルEで簡素な建物でエアベルリン専用の感じだった。復路でわかったが、メインのターミナルであるターミナルAもエアベルリンがチャックインカウンターの多くを占め、この空港の主役はエアベルリンだと実感した。


german3137.jpg

 ターミナルEから10分ほど歩いて着いたターミナルA。これがメインのターミナルだが、何とも古いつくりで小さなターミナルだ。首都の玄関空港とは思えない。現在、新空港(ブランデンブルグ空港)が建設中で、新空港ができれば、テーゲル空港は廃港される。

german3138.jpg

 ターミナル案内図。右上がターミナルE、左上がターミナルA。赤丸が案内図の位置で、上のターミナルAもここから撮影した。このすぐそばから空港バスに乗車した。


german3139.jpg

 X9の空港バスに乗車。ベルリンの市内交通はSバーン、Uバーン、バス共通の1日券があり、市内中心部のAゾーン用。市内中心部とその周辺部を含んだABゾーン用などがある。テーゲル空港はBゾーンにあるので、ABゾーン用の1日券を買って、X9の終点であるツォー駅まで乗車する。


german3140.jpg

 車内には荷物置き場もある。


german3141.jpg

 20分ほどで終点のツォー駅に到着。


german3142.jpg

 ホテルに向う途中、ツォー駅の1階にあるスーパーに飲物などを買いに立ち寄り。


german3143.jpg

 アンペルマンと言われる、小人を描いた信号。旧東ドイツで使われていたもので、統一後、旧西ベリリンでも使われるようになり、現在ではほかのいくつかの旧西ドイツの街でも使われるようになったという。旧東のものが統一後、全国で使わるという例はほとんどないが、信号だけは別のようだ。


german3144.jpg

 バスの車窓からホテルが見えていたので、迷わずにホテルに到着。ウィンダム・エクセルシオールに4泊する。

german3145.jpg

   室内。古い感じのホテルだったが、室内はきれいに整備されていた。部屋は思っていたより広く、冷蔵庫も使えてよかった。シャワーではなくバスであったのもよかった。

 長かった初日が終了。
posted by とんび at 09:31| Comment(12) | ドイツ

2017年06月22日

JL415(成田→パリ)搭乗記

ベルリン旅行記1日目2回目


german3107.jpg

  成田に到着。乗ってきたばかりのB767は上海行きになるようだ。内際連絡通路を使い、保安検査場も出国審査場もほとんど待つことなく通過し、国際線制限区域へ。

 すぐにファーストクラスラウンジへ。荷物を置いて向ったのは、握り寿司コーナー。出発前に、その場で握ってもらえる寿司をいただけるのはうれしい。


german3108.jpg

 まぐろ3貫を握ってもらった。


german3109.jpg

 そのあと、いろいろつまみながらシャンパンをいただいた。


german3110.jpg

 締めには、ビーフゴロゴロのカレーをいただいた。ご飯は少しにしておく。


german3111.jpg

 搭乗時刻が近づき、ゲートに向った。


german3112.jpg

 搭乗したB787、パリ行き。


german3113.jpg

 ベルリンに行くのにパリ経由にしたのは、予約のとき、旅行を考えていた日は、欧州方面でマイルを使ってビジネスクラスにアップグレード可能な席が成田発パリ行きに1席残っていただけだたからだ。同じく、帰国日はフランクフルト発成田行きで1席残っていただけだった。今回はマイル利用でアップグレードしていこうと思っていたので、必然的に、行きはパリ行き、帰りはフランクフルト発の便となった。  B787のスカイスート化された機材はSS8とSS9がある。B787の場合はSS8、B787-9の場合はSS9だ。今回は行きがSS8、帰りがSS9利用で、どちらも今回の旅がはじめての利用だ。

 SS8は、両方の窓側に席が1席、中央に2席がある。SS7なら両方の窓側が2席、中央部が3席なので、機体がやや小さいことがわかる。


german3114.jpg

 窓側の1席は、前後で少しづつずらして席を配置してある。


german3115.jpg

 自分の席。


german3116.jpg

 今回JALでは初めて、離陸前のウエェルカムドリンクを経験した。シャンパンとオレンジシュースがあり、シャンパンをもらった。

german3117.jpg


 水平飛行に入ってからの飲物は、獺祭(だっさい)を選んだ。人気の日本酒で知られているが、初めてJALの機内の日本酒に採用されていたので、迷わずに選んだ。

german3118.jpg

 おつまみ。獺祭をちびちび飲みながらいただいた。


german3119.jpg

 前菜。生野菜のサラダだが、青い葉など見たことがないものが混じっていた。


german3120.jpg

 サーロインステーキ。柔らかく、美味しくいただけたが、少し量的に物足らなかった。


german3121.jpg

 コーヒーとデザート。


german3122.jpg

 非常口付近には春を感じさせるサクラの造花が美しい。


german3123.jpg

 2回目の食事は、野菜カレーと野菜サラダを選んだ。


german3124.jpg

 フルーツとコーヒー。


german3125.jpg

 到着が近づいてきた。ラストオーダーを聞かれたので最後にもう一品頼んだ。


german3126.jpg

チキンサンド。これは冷えた状態のもので、美味しくなかった。珍しくハズレ。


german3127.jpg

 アイスクリームと紅茶。アイスはディーン&デルーカだった。
posted by とんび at 22:35| Comment(4) | ドイツ