2014年07月04日

ベオグラード&旅行記完成

1998年旧ユーゴスラビア旅行記11日目
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 夜行バスでベオグラード到着。マケドニアとユーゴスラビア(当時はセルビアとモンテネグロの連邦国家「新ユーゴスラビア」であった)の国境ではバスを降りて、荷物を開けての検査があった。バスの車体の下まで検査していた。

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 到着後、ベオグラード駅へ。駅を見学しがてら、その日の夜に乗車するブダペスト行きの列車の乗場を調べたりするためであったが、乗場などはわからなかった。

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 次にカメレグダン公園に行った。ベオグラード要塞跡を公園にしたものだ。

 ドナウ川をサバ川の合流地点を眺める。
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  カメレグダン要塞内にある軍事博物館。近年の内戦にかかわる展示を期待して行ったのだが、中世・近代の展示が中心で、第二次世界大戦までで展示が終わっていて、期待外れであった。

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 ベオグラードの繁華街へ。当時、コソボ問題をめぐって、EUの制裁を受けていたのだが、明るい感じであった。

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 乗物はトロリーバスが多かったのが特徴。

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 チトー記念館に行った。この画像は壁の隙間から撮影したもの。ここにはチトーの墓もあるのだが、閉鎖されていた。ただ、内部はきちんと整備されている様子がみてとれた。

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 チトー記念館の外側。入口は閉ざされていた。チトーはクロアチア人であり、訪問当時はセルビア民族主義が高まっていたので、かつての英雄の扱いに困っていたのかもしれない。(2014年現在では見学可能になっている。)
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 入口の前には、大きな駐車場があり、内戦前は多くのバスなどが記念館に客を運んでいたことが想像できた。


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 19時50分ベオグラード発の夜行列車でハンガリーのブダペストに向った。乗車の半年後、NATO軍の空爆で、夜行列車で通った鉄橋が破壊されたと知り衝撃を受けた。

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1998年旧ユーゴスラビア旅行記、完成版をHPにアップロードしました。

「東ヨーロッパ」の中にある「98旧ユーゴ」を選んでください。

http://tombi00.sakura.ne.jp/

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2014年07月03日

ビトラ

1998年旧ユーゴスラビア旅行記10日目


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 8時15分発のバスでオフリドからビトラに向った。ビトラでは鉄道駅の前のターミナルに到着。ビトラはギリシャ国境に近い街だ。


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 ヘラクレア遺跡へ。どういうわけか写真が見当たらず、入場券で代用する。右下部分は、YUGOSLAVIAと書かれた上にMACEDONIAと貼ってある。


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 ビトラの街。昼食を食べた後、13時15分のバスでオフリドに戻った。


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 オフリドに戻ったあとは、17時45分発のベオグラード行きの夜行バスに乗車。スコピエ経由である。
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2014年07月02日

オフリド

1998年旧ユーゴスラビア旅行記9日目
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 スコピエのバスターミナルには6時すぎに到着。バスはほとんど止まっておらず、閑散としていた。


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 オフリド行きのバスは9時までなく、それまでスコピエの街歩き。まずは旧市街。
 

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 城に上がり、新市街を眺める。


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 9時発のバスで4時間ほど揺られてオフリド着。バスターミナルにきていた客引きに連れられて近くの民宿へ。画像は泊まった民宿。


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 民宿はバスターミナルに近いが、湖から1kmくらい離れてる。さっそく外出。はじめに市場に立ち寄る。


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 オフリド湖岸に着く。世界遺産の教会跡などはさらに歩かねばならない。


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 古い建物の間を歩いて、さらに進む。


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 湖岸の丘の上に到着。


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 世界遺産の教会群のエリアにやってきた。


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 八角形の建物に特徴がある。オフリドの散策を終え、民宿に帰った。再び湖岸に出かけて夕食。
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2014年07月01日

サラエボからベオグラードへ

1998年旧ユーゴスラビア旅行記8日目

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 1914年、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナントがサラエボで、セルビア人のプリンツィプによって銃撃、暗殺された。これがサラエボ事件である。

 この事件を契機に第一次世界大戦が勃発。以前はサラエボではプリンツィプに好意的で、現場となった橋は、もともと「ラテン橋」だったのがユーゴスラビア時代から「プリンツィプ橋」とよばれていた。

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 ごく普通の橋である。事件は対岸側のたもとで発生した。以前にはプリンツィプの足跡も彫られていたのだが、サラエボ包囲中の1992年に撤去されていた。

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 橋の名も1994年に「ラテン橋」に改称された。

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 ボスニア・ヘルツェゴビナは、「スルプスカ共和国」(セルビア人共和国)と「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」(ムスリム人とクロチア人の連邦)の二国からなる連邦国家である。2014年はサラエボ事件100周年だが、記念式典は、スルプスカ共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦で別個に開催された。式典にあわせ、スルプスカ共和国側では、プリンツィプの銅像も建造されたという。 スルプスカ共和国で、サラエボ南部のセルビア人エリアを除くと、セルビアに最も近い街はパレでセルビアの東10kmほどのところにある。

 旅行当時はベオグラードに向うバスはパレから出ていた。だからいったんパレに行かねばならないのだが、当時はサラエボとパレを結ぶバスもなかった。それでタクシーで向かうのだが、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の境界でタクシーを乗り換える必要があった。(自分の旅行後まもなく、サラエボからベオグラード行きバスが運行するようになり、こんな面倒な乗換は不要になった。)

 画像は乗り換え地点に着いたタクシー内から撮影。ドライバーによると、デイトンカフェというらしい。(1995年に合意されたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の停戦協定であるデイトン協定にちなむ。)

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 すぐそばの路上にはパレに向うタクシーが何台も止まっていたのですぐに乗り換えた。

 面倒な乗換だが、境界線での検問がないのが、むしろ驚きであった。

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 スムースにタクシーを乗り継げたので、パレへは1時間もかからずに到着できた。逆にパレで1時間以上、乗り継ぎ時間ができた。パレはただの住宅街って感じの街だった。付近を歩いたのだが、10分くらいで町はずれになり、バスターミナルで座って待った。

 パレ発10時30分のバスに乗車。悪路や一車線しかない箇所があちこちにあり時間がかかった。

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 事実上、別の国に入ったことを感じることが2つ。

 1つ目。文字が普通のアルファベットから、キリル文字に変わったこと。バスの切符もキリル文字だ。

 2つ目。通貨がドイツマルクからユーゴスラビア・ディナールに変わったこと。タクシーはドイツマルクで払えたし、パレではユーゴスラビア・ディナールへの両替も簡単にできた。(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側ではドイツマルクが使われていたので、この旅行ではドイツ・マルクを持参して、ほかの国でもドイツマルクをその国の通貨に両替して旅した。)

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 途中の休憩地点にて。周りには何もないようなドライブインで40分ほどの休憩。

 このあと、ボスニア・ヘルツェゴビナとユーゴスラビア(旅行当時は、セルビアとモンテネグロの「新ユーゴスラビア」であった)の国境では、パスポートが回収されて、しばらくバスの中で待機させられた。ボスニア・ヘルツェゴビナ側はセルビア人のスルプスカ共和国だったので、国境管理をしっかりやっているのに逆に驚いた。

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 7時間かけて、17時半にようやくベオグラードのバスターミナルに到着。丸1日かけての移動だった。当時は夜行バスがなく、1日を無駄にすごした気持ちが強かったが、今(16年後の2014年)となってはいい思い出である。

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 バスターミナルでは、この日、乗車するマケドニアのスコピエ行きの夜行バスの切符を購入。

 このあと、鉄道駅に行き、3日後に乗車するハンガリーのブダペスト行きの切符を購入。夕暮れの街をぶらぶらしたあと、夜行バスに乗車。
posted by とんび at 20:17| Comment(2) | 旧ユーゴスラビア

2014年06月29日

サラエボ

旧ユーゴスラビア旅行記7日目

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 モスタル発9時のサラエボ行きのバスに乗車。ところが、途中でバスが故障し、動かなくなった。

 1時間くらい待って、やってきたバスに別に運賃を払って乗車した。同じバス会社の後続のバスなら追加料金なしなのか、待つ人もいたが、サラエボはこの日1泊だけなので先を急いだ。
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 橋の真ん中が破壊された橋だが、応急修理されて通れるようになっていた。

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 この橋は一車線になっていていて、しかもゆっくりと通過しなければならず、渋滞もあって、この橋を渡るのにも少し時間を要した。

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 本来なら2時間ほどで着くはずが、4時間かかってサラエボのバスターミナルに到着。バスターミナルに隣接して、鉄道駅がある。

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 泊まるホテルに向かう前に、バスターミナルから近いエリアを回っておこうと、ツインタワーに向った。

 内戦時に標的となって、火災もおこり、ひどい状態になったツインタワー。サラエボにおける内戦のシンボルのような建物である。まだまだ修復は十分じゃなく、窓が板張りになっているところが多かった。それでも、入居している部屋もそこそこあった。 

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 ツインタワーの下部。窓が板張りんあったり、ビニール張りになっている箇所が目立つが、修復も進んでいることもみてとれる。

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 ツインタワーの下部だが、右上の画像の裏側の部分。窓ガラスが割れた状態のまま放置されていた。

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 ボスニア・ヘルツェゴビナ国会議事堂。内戦で標的となり、炎上したあとが残っままであるが、国会議事堂として使われていた。

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 路面電車でいったん市街中心部のホテルに行ったあと、再び街歩き。バシチャルシャに向った。

 旧市街の商業地区で、イスラム圏の雰囲気が漂っている。観光客もわずかだがやってきていた。
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 歴史を感じさせるモスクもあった。

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 国立図書館。1992年、セルビア人勢力がサラエボを包囲したとき、攻撃を受け炎上。多数の蔵書が焼失した。外観はかなり修復されているようだが、この時は閉鎖中。屋上を見ると工事中のようだ。2014年にようやく再開された。

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 サラエボをセルビア人勢力が包囲したとき、かなり市街地に近い、低い地点まで占拠していた地区が市街地の南部にあった。セルビア人勢力の支配下にあった地区に行ってみた。

 セルビア人勢力は訪問時にはサラエボ郊外からは撤退し、この地区もほかのサラエボの地区と何の変わりもなかった。
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 かつて「スナイパー通り」と称せられた通り。サラエボの南部の、訪問時には何の変哲もないただの大通りだった。

 しかし、1992年から約3年間のセルビア人勢力によるサラエボ包囲のとき、この通りは、セルビア人勢力が占拠する地区に近く、ビルから無差別射撃が行われ、動くものすべてが射撃されたという。
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 1984年、社会主義国としては初の冬季オリンピックがサラエボで開催された。そのフィギュアスケートと閉会式が行われた会場がここだ。

 ここも、窓ガラスがなくなりビニールで覆われている。内部では、少しだけ商店が営業していたが、客は少なく閑散としていた。
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 30分ほど歩いて、さらに開会式が開かれたスタジアムに向った。その途中で見かけた、オリンピックの会場案内板。

 オリンピックから14年、しかし内戦を考えると、オリンピックの痕跡が残っていることに感動した。旅行記を書いているのは、さらに16年後。どうなっているのだろうか。

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 開会式が開かれたスタジアム。スタンドは跡形もなくなっていたが、グランドで、ここが開会式会場の跡だということがわかった。

 1984年の冬季オリンピックはの開会式はテレビで見た覚えがある。細かいことは覚えていないが、周辺が雪に覆われていた。オリンピックの終了後、数年で内戦がおこるとは全く予想できなかった。誰しもがそうであっただろう。
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 スタジアムの屋根はなくなり、鉄骨だけが残されていたが、修復工事も行われていた。

 スタジアムの周りは、内戦で亡くなった人々の墓地になっていた。訪問時はとても撮影する気にならず、写真はとっていないのだが、記録のために撮影しておくべきだったと悔やまれる。
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 泊まったのはホテル・ボスニア。そのすぐ近くの建物もよく見ると、銃弾の跡が残っていた。戦闘が行われた、その3,4年後に自分が同じ場所にいるというのが不思議であった。

 夜は、当時、おこなっていたnifty-serveで知り合った方でサラエボに滞在されていた方とお会いして、食事を一緒にしていただいた。
posted by とんび at 22:07| Comment(2) | 旧ユーゴスラビア

モスタル

1998年旧ユーゴスラビア旅行記6日目

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 着いた日に8時発のモスタル行きのバスを予約しておいた。サラエボ行きのバスで途中下車するようだ。午前中のモスタルに行くバスはこのバスだけだ。

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 モスタルは街の真ん中を流れるネレトバ川によって、西側のクロアチア人地区と東側のムスリム人地区に分かれている。ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦のさいには、両者の戦闘が繰り広げられた街だ。

 バスターミナルはムスリム人地区にあり、内戦で破壊されたが、訪問したときには新しいビルが再建されていた。モスタルには11時半ごろ到着。

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 バスターミナルから数分。ネレトバ川を渡ってクロアチア人地区に入ったところにあるホテル・エロ。旅行当時、唯一の予約可能なホテルであった。当時はモスタルにはPKOが駐留していて、PKOの関係者が利用するために、予約が入りづらいとのことだったが、予約できた。

 
 12時だったが、チェックインできて、部屋で1時間ほど休憩したのちに街歩きに出かけた。

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 まずホテルのあるクロアチア人地区を見て歩いた。破壊され、窓のない建物があちこちにある。

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 窓ガラスのない建物はあたり一面にある。右側には、窓ガラスをはめこみ、カフェを営業している建物があるが、修復できているのは半分くらいの建物だ。

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 PKOの兵士も何度も見かけた。また白地にUNと書かれた国連関係の車も数分おきに通っている。

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 ネレトバ川をはさんで、左(西側)がクロアチア人地区、右(東側)がムスリム人地区。木の橋が架かっているが、これは仮の橋。もともとは木の橋のすぐ後ろの砦のような建物からスタリ・モスト(「古い橋」の意味)が架かっていた。15世紀に建造されたアーチ橋で、川に飛び込む大会が開かれていたことでも有名であった。しかし1993年にクロアチア人側の攻撃で破壊され、停戦後、木の橋が架けられた。

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 木の橋を渡り、ムスリム人側に入った。

 右側に工事をしている様子が写っているが、スタリ・モストの再建工事だ。その後、2004年に石橋が再建され、翌年には世界遺産になっている。

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 橋の近くは少しだけだが土産物屋が店を出していて、観光客もわずかであるが見かけた。

 
 ムスリム人の地区は少し歩いたが、クロアチア人側のエリアと同じく、復興はさほど進んでいなかった。

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 再び、クロアチア人側のエリアに戻り、街の少し郊外を歩いた。

 壁いっぱいに銃弾のあとが残っている建物にびっくり。

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 破壊された建物の中を街歩き。車はそこそこ通るが、歩く人はいない。暑いからだ。モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナでも特に暑く、40度近い中を歩いた。歩く人がいないから、破壊された建物のあたりでは不気味な感じがする。

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 かつてバスターミナルだった建物だと思う。

 ホテルに戻り、涼んだ後、夕食をとりに出かけた。
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2014年06月28日

ドゥブロブニク2日目

1998年旧ユーゴスラビア旅行記5日目

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 この日は1日、ドゥブロブニクの観光だ。最初、前日も見て回った旧市街に行き、セルビア正教会をめざした。

 ドゥブロブニクはじめクロアチアでは内戦で、クロアチア人とセルビア人が争い、悲惨な出来事も起こっている。ドゥブロブニクはクロアチア人のエリアなので、セルビア正教会がきちんと維持されているのか心配があった。

 路地裏を歩いていて、突然、教会があらわれてびっくり。狭い道路の街中にあって、教会全体を撮影するのは難しかった。

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 心配する必要はなかった。クロアチア人と内戦を戦ったセルビア人の教会であるが、きちんと管理がなされていた。カトリックに比べて、簡素な内装であるが、壁画など手が込んでいる感じだ。

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 次に、城壁を一周してみた。城壁の上部は歩けるようになっているのだ。

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 城壁上から城壁のほかの部分を眺めた画像。右下部が城壁内、左上部が城壁の外である。

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 城壁上から、このあと訪問するロクルム島を眺める。街はオレンジ色の屋根で覆いつくされている。

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 城壁の中でも海岸に近い部分には、艦砲射撃で被害を受け、屋根が破壊された民家が数多く残っていた。すでに1991年から92年にかけての攻撃から6,7年たっているというのにじゅうぶん復興しているとはいいがたい状態があった。

 この旅行の3年半前、1995年1月に阪神大震災がおこったのだが、家々の破壊された姿は阪神大震災のときの様子に重なった。

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 なかには完全に破壊されたのであろう民家もあった。

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 城壁を一周したあと、内戦前に運行していたロープウェイの乗場に行ってみた。かつてのロープウェイ乗場の看板が昔のまま残されていた。ここではロープウェイもケーブルというようだ。

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 丘を少し上ってみた。ケーブルの上の駅が見えたが、丘の中腹まで上がって引き返した。

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 かつてドゥブロブニクでは路面電車が運行されていたようで、車両が保存されていた。

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 午後はロクルム島に向った。

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 島へは15分ほど。この島にはヌーディストビーチがあるらしい。到着後、島の中を見て回った。島の一画は確かにヌーディストビーチであった。みなさんスッポンポンで海水浴をしたり、歩いたりしているのだ。それが、あまりに自然な感じでいやらしさを感じないのが不思議であった。

 島は自然が残されていて、帰りの船の時間にあわせて島内散歩。

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 島を一周したあとは、ドゥブロブニクに戻った。ドゥブロブニクの港に到着する直前。

 本当はドゥブロブニクからモンテネグロ領のコトルにも行ってみたかったが、当時はモンテネグロとの国境が閉鎖されていたため果たせなかった。
 旧市街で食事をしてから、民宿に戻った。
posted by とんび at 22:03| Comment(2) | 旧ユーゴスラビア

2014年06月27日

スプリットを経てドゥブロブニク

1998年旧ユーゴスラビア旅行記4日目

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 早朝5時すぎにスプリット着。港町である。途中、クロアチアの有名観光地であるプリトッヴィツェ湖の近くも通過したのだが、当時は、湖の周辺には内戦時に埋められた地雷が除去されておらず、湖はコースに入れることができなかった。

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 ディオクレティアヌス宮殿。3世紀末にディオクレティアヌス帝によって建造された史跡である。しかし、建物の一部は、民家や土産物屋などの商店に利用されていた。中庭には仮設ステージがつくられ、椅子が並べられていた。

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 早朝のスプリット旧市街を街歩き。古い建物が住居や商店となっていて、保存の観点からは、あまりよくないのではと考えながら歩いた。

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 スプリットのバスターミナル。8時30分発のドゥブロブニク行きに乗車。

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 ダルマチア式海岸が見えた。ダルマチア式海岸は、海岸線に平行な細長い島に特徴がある。

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 道路状態はよくなく、4時間半、バスに揺られ、13時にドゥブロブニクのバスターミナルに到着。

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 ドゥブロブニクのホテルは内戦で破壊された後、まだ復旧していないところが多く、バスターミナルに着いたら、民宿の客引きを利用しようと考えていた。思っていた通り、バスを下りると客引きが数人集まってきた。そのうちの一人のおばさんに連れられ、丘の中腹にある民宿に行った。ここに泊まることにした。

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 ドゥブロブニク旧市街の入口。

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 入口を入ったところに、ユーゴスラビア連邦軍の攻撃による被害についての看板があった。

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 タイトルは「1991年から1992年の、セルビアとモンテネグロからなるユーゴスラビアの軍によるドゥブロブニクへの侵略による損害」で、攻撃を受けて被害が出たところを地図に示している。

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 旧市街の大通り。 この建物の裏側は港であった。 壊れたままの住宅はあちこちにあった。

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 窓に木を打ち付けてある建物もあちこちにある。

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 港めぐりの船に乗船。1時間ほどの航海。

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 ユーゴスラビア軍の攻撃で窓が壊されたままのホテル。

 旧市街で食事をとり、民宿に戻った。
posted by とんび at 23:53| Comment(6) | 旧ユーゴスラビア

2014年06月26日

ザグレブ

1998年旧ユーゴスラビア旅行記3日目

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 リュブリャーナ発7時30分のザグレブ行のバスに乗車。少し早いが、1日に3本しかバスがなく、早朝のバスを選び、前日に切符を買っておいた。10時にザグレブ着。

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 バスターミナルからザグレブ中央駅まで路面電車で移動。

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 さらに路面電車で街の中心へ。

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 市場を見たあと、ケーフルで丘の上に向った。

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 丘の上にある「石の門」へ。18世紀、門近くで大火があったが、聖母子のイコンだけが焼け残った。門は作りかえられたが、聖母子のイコンを礼拝堂を作って祀った。門の中の通路に面して礼拝堂がある。

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 丘の上から眺めたザグレブ市街地。

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 バスターミナルとその前にある路面電車の停留所。ザグレブ発22時の夜行バスででスプリットに向った。

posted by とんび at 22:40| Comment(0) | 旧ユーゴスラビア

2014年06月24日

ポストイナ鍾乳洞とブレッド湖

1998年旧ユーゴスラビア旅行記2日目

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 スロベニア2日目は、リュブリャーナから日帰りでポストイナ鍾乳洞とブレッド湖に行った。

 午前は、バスでポストイナへ。1時間半ほど。ポストイナのバスターミナルから歩いて鍾乳洞まで行った。画像はポストイナの街。

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 鍾乳洞の入口。右手の建物でチケットを買って、洞窟の中へ。

 石灰岩が溶けてできるカルスト地形の語源になったのは、スロベニアのカルスト地方で、数多くの鍾乳洞がある。その中でも最も有名なものがポストイナ鍾乳洞である。

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 洞窟の中はまずトロッコ列車で観光する。チケットにその写真が使われている。

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 トロッコで移動した後は、徒歩での観光。天井から鍾乳石がぶら下がっている。鍾乳石が1mmのびるには20年くらいかかると言われる。巨大な鍾乳石ができるには途方もない年数がかかっている。

 巨大洞窟の中はとても涼しかった。夏であることを忘れて気持ちよかった。1時間ほど歩いたあと、再びトロッコで入口に戻った。

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 ポストイナからいったんリュブリャーナに戻ったあと、別のバスで1時間強かえてブレッド湖へ。

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 まずは、湖岸の丘の上にある城に向った。 城から、湖岸の街を眺める。

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 城からは、湖に浮かぶ小島も見え、教会があることもわかる。

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 湖岸の船のりばにて。ここから小島に向う。

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 小島に到着。

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 小島にある教会を見て、再び船で湖岸に戻った。このあとバスでリュブリャーナへ。1日でポストイナ鍾乳洞とブレッド湖の両方を回るのはかなり時間を要するので、強行軍だ。

posted by とんび at 23:13| Comment(7) | 旧ユーゴスラビア