2011年11月12日

乗継できず帰国できなかった

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  街歩きからホテルに戻ると11時。部屋では手洗いを使っただけで、すぐにチェックアウト。

 すぐに空港バスの乗場に向かった。乗場まで行ったときにバスが出て行き次は11時40分のバスになったのだが、、次に乗れるバスは12時20分だという。ガァ〜ン。14時30分発のアシアナ航空に乗るのだが、そのバスだと空港着は出発の1時間前ということになる。何か予期せぬことが起こった場合は対処しにくいので、タクシーに乗ることにした。

  タクシーは快調に走り、50kmくらいあるのだが、40分くらいで空港に着いた。12時20分着。高速道路代を入れて205元(約2600円)。最後に高い買い物になってしまった。瀋陽の場合は距離も近かったのだが、1000円以内ですんだのだが。

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  12時20分に空港に着いたものの何もすることはできなかった。中国の場合、税関を通過してからチェックインカウンターがあるのだが、税関が開かれたのは13時過ぎ。
 
  一斉に客がなだれ込むのでチェックインカウンターの前にはまたたく間に長い列ができたが、さいわいスターアライアンスゴールドの効果で誰も並んでいないビジネスクラスのカウンターで手続きができた。そのあと、出国手続、保安検査ともあまり並ばすに通過できた。

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  搭乗までラウンジで休憩。ビール、フルーツ、乾き物の菓子だけで昼食は機内食を期待することにした。

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  14時過ぎに搭乗。この日の国際線はこの便が最後。あるいはこの日はこの便が唯一の国際線だったのかもしれない。

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  出発時刻をすぎても動き出す気配なし。そのまま1時間が経過して、15時30分ごろに機長からアナウンスがあった。整備に時間がかかっていたが、これからテストを20分してから出発するという。確かに20分ほどエンジンが動く音がしていた。16時過ぎにようやく出発。

 遅い昼食として機内食をいただく。

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 果たして関西行きに乗り継げるかどうか気が気でない。もともと60分の乗継時間だったが、90分遅れ。でも30分ほど余裕時間がとってあるので、乗り継げるかなと希望的観測をしていた。 

  インチョン空港では名前を書いた紙を持った係員が出迎えていた。関西行き3人、成田行き3人が乗り継ぐようだ。だが言い渡されたのは、乗り継げないということ。しかも他社便も全部出ているので、明日の便に振り替えとなるという。まだ、乗り継ぎ便の出発時刻前だったので、何とかならぬか言ったが、どうにもならない。

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  いったん乗継用の保安検査を受けて、出発ロビーにあるカウンターへ案内される。そこで、翌日の関西行きに振替える以外に、翌日は月曜なので、月曜のみ運航の羽田行き深夜便があることを知った。それいで羽田行きで早朝に羽田に着き、新幹線で帰宅することにした。ただし、新幹線あるいは国内線航空機の運賃は自分もちだという。

 ミールクーポン1万ウォン分とトランジットホテルが提供された。まずはレストランに行って腹ごしらえ。

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  そのあとトランジットホテルに行った。制限区域内にある。着いたのが20時30分、ホテル出発が0時30分なのでわずか4時間だが、疲れた体を休めることにした。

 シャワーを使ったりしていたので、眠ったのは3時間弱。電話で起こされて、トランジットホテルをチェックアウト。このホテル、インチョン空港で乗り継ぎのとき使ってもいいなと思った。

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 1時40分発の羽田行き。この便は月曜日のみ運航なので、日本国内の移動費用は自分もちで出費がかさんだものの、翌日便で関西へ行くよりも早く帰ることができた。

  提供された席は、席だけビジネスクラス。それでもアシアナ航空のビジネス席を体験することができてよかった。

 サービスは飲み物とおつまみが最初にあっただけ。しかし深夜便なので、静かにしておいてくれるほうがよい。 関西近くを通りながら羽田へ。3時30分ごろ羽田着。このあと朝一番の京浜急行で品川へ、そして朝一番の品川発の東海道新幹線で帰宅した。最後の最後に大きなアクシデントがあっての帰国となったが、思い出として残ることになろう。 
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2011年11月11日

買い食いして3日目終了

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 糖葫芦。日本のりんご飴のようなもの。モルデンホテルの1階のカフェの入口のところで売っていた。 歩きながらこれを食べる。3元。

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 この日から「首届哈爾浜相亲文化祭」が始まったいた。「相亲」とはお見合いということ。第一回哈爾浜お見合い文化祭ということのようだ。


 中央大街では展示やお見合いカードを紐にくくりつける催事が行われていた。

 
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防洪記念塔の前には仮設ステージが設けられ、催事がおこなわれていた。お見合い相手選びみたいなことをやっていた。

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 モルデンホテルの1階ではアイスキャンディーも売っている。濃い牛乳味でアイスクリームに近い感じ。こちらも歩きながら食べる。5元。

 このあとバスで哈站へ。すぐにホテルに戻り1日を終えた。
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2011年11月09日

ロシア料理3食目

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 哈站に戻ったときには17時前ですでに薄く暗くなっていた。またもや足は中央大街に向き、13系統のバスに乗車した。このバス、中央大街から哈站に戻るときには前々日、前日と2回乗車して、通るコースがわかっていたのだが、哈站から中央大街に行くのは初めて。


 哈站の次のバス停は、芸術広場であった。それで、中央大街は古いロシア建築が並んでいるので芸術広場という名がついているのかなと思って下車した。しかしバス停間違いだった。芸術広場とはソフィスカヤ寺院の前の広場のことだったのだ。それで中央大街まで20分ほど歩いた。


 ロシア料理店を探して歩き、ある店に入ったのだが、いつまでたってもメニューをもってこなかったので、この店は出た。そして次にやってきたのが、前々日に行った「ロシア」の別の店。

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店内の様子。壁や天井、椅子もなかなか手の込んだものだ。

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ハルビンビール。

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紅菜湯(ボルシチ)。

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 熱土豆泥(マッシュポテト )。これは前々日も食べたが、ソースのかけかたが違っていた。でも美味しいことと、量が多いことは同じ。

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油炸包子(ピロシキ)。

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 ピロシキの中。前々日に食べたロールキャベツと同じく、米粒が入っている。
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2011年11月08日

新疆大街を街歩き

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  731部隊跡の敷地から出たが、部隊の兵士や家族の宿舎は敷地外に広がっていた。また宿舎などで使う水をまかなう給水塔も敷地外にあった。

 新疆大街の交差点を100mほど西に行ったところに給水塔があった。新疆大街の街のど真ん中である。

 給水塔っても、自分が今までに見て知っているのは円柱型なので、731部隊跡で説明を見なければ給水塔とは思わなかっただろう。

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  新疆大街をはさんで南側には部隊の兵士や家族の宿舎がたくさんあったのだが、その建物はかなり多く残されている。


 多くの建物は今もアパートとして使われている。

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  宿舎跡を見た後は、露店が並ぶ道を歩いてバス停に戻った。トラックの荷台のみかんを売っているところ。

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  いきのいい魚を売っていた。地面に置かれると飛びはねていた。松花江でとれた川魚なのかなぁ。

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  バス停に戻ってバスを待つ。まっすぐ並ばねばならないように鉄柵が作ってあって、中国とは思えないくらいまっすぐ並んでいた。画像の右下がその列。

 
  ところがバスが列の前にやってくると、どこからか並んでいなかった人がちゃくさん集まってきて、並んでいた人よりも先に乗ってしまう始末。それでも何とか座れたが、やっぱりって感じ。

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2011年11月06日

731部隊跡その2

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  本部大楼の北側にあった四方楼の跡地。ここが細菌研究をおこなったところで3階建てであったらしい。本部大楼の裏側の画像(注 ひとつ前にアップデート済)の渡り廊下の延長線上にある。


 溝になっているのは本部大楼から続く地下道。右上に石が見えるが、その付近の地下には監獄があった。


 遺構の向こうにアパートが見えるが、アパートも731部隊施設の敷地の内部に建設されている。そのさらに向こう側にも、731部隊の遺構が残されている。

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  上の画像で石が見える付近の地下の様子。レンガの遺構があるが、これが地下監獄の跡。


 展示室での説明によると、ここに収容されていた囚人はマルタと呼ばれ人体実験に使われたという。


 建物が多くは残っていないのは、敗戦時に破壊したからだ。そして731部隊の幹部はデータを米国に提供するかわりに責任は追及されなかった。そのために、真実が闇に埋もれた。

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  二木班。結核研究のグループ。本部大楼の西側に残されている。


  このあと、敷地の北側のアパートの北側に残されている施設を見学しようと北門まで行ったが、ガ〜ン。門は施錠されていた。そりゃぁ、開館時間じゃないから。動力班の半分破壊された大きな廃墟もそこに渡る通路が施錠されていて近づけない。


 仕方なく、いったん敷地から出ることにした。正門ももちろん閉じられていたので門扉を開けて外に出た。その間、係員に出会うことがなく、自由に行動。
 

 正門から出たのは12時。昼休みなってから1時間くらい中にいたことになる。外に出る際に、入場しようとした客が守衛所に入ってすぐ出てきたので、昼休みは入場券の交付の窓口も閉じられているのだろう。

 
 敷地の外側を通って、北側に残る施設と動力班に向かうことにした。

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  敷地の東側には線路があり、かつては731部隊の専用線だったようだが、今は一般の貨物線になっているようだ。線路の東側には工場があり、さらにその東側の道路を北に向かった。ここを歩いているとロバ車にであった。塀の向こう側は工場敷地で、その向こうに動力班の廃墟が見える。

  731部隊跡の敷地外を通って、北側の門までたどりついた。先ほどは内側から行ったが施錠されていたところだ。

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  まずは動力班に向かった。ここは巨大なボイラーがあったところで、現在は煙突2本と壁が一面残されているだけだ。壁は板のようになっていて、マカオの有名な教会のような感じだ。この裏側にも立ち入ることができた。

 もっとも敷地内から線路を越えてやってくるのは、出入口が施錠されていてできない。

 ついでアパートの北側にある、第二敷地といえる場所にやってきたが、門扉は閉ざされていた。

 このとき12時45分。仕方ないので、13時30分の午後の開場を待つことにした。とは言うものの、この場所で1時間待つのはつらいし、アパートの住民に不審者と思われかねない。それで、いったん新疆大街にもどった。

 そして今度は、731部隊跡の西側に沿って、第二敷地に戻ることにした。

 さらに部隊の敷地内のアパート群の中を通って門扉に戻ったが、まだ閉まったまま。すでに13時45分だったのだが。

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  どうしようかと悩んでいたら、列車が通る音が聞こえてきた。貨物列車がやってきて、何と動力班の廃墟の前で機関車の付け替えをはじめたのだ。それでディーゼル機関車の付け替え作業を見学。

 貨物列車が去り、14時ごろ第二敷地の門扉が開かれた。開場は13時30分からだが、急いで見学しても第二敷地までやってくるのには30分くらいかかるから、14時ごろに開門されたのだろう。

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  冷凍実験室。第二敷地の入口から100mほど入ったところにある。その内部。ひんやりとしていた。

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 小動物飼育室。地下の飼育室への階段の入口。中に入られた方の旅行記も見たが、行ったときには入れなかった。

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 ねずみの飼育室。木造の長い建物であった。その内部。小さく区切られた四角い穴が並んでいた。


 第二敷地の建造物を見たあと、第一敷地に入り、線路沿いに南へ歩いた。正門から出て、731部隊跡をあとにした。門から出たのは14時30分。

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2011年11月05日

731部隊跡その1

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  「731部隊」は日本陸軍の生物兵器の研究機関で、正式名は関東軍防疫給水部本部であった。日本陸軍には番号で部隊名を示す慣わしがあり、その研究機関は「731部隊」と称された。細菌を使った生物兵器の開発のためを人体実験を行い、実戦でも使用したいう主張が中国ではなされているが、日本ではそれは誤りという説もある。そのあたりを自分の目で確かめてみようと731部隊跡を訪れた。

 381系統のバスの終点から来た道を少し戻ると、部隊跡の入口にやってきた。

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 731部隊の敷地は周囲5kmに及んだといい、土壁で囲まれ、壁の上には電線があり、電流が流されていた。また壁の外側には堀もあったという。


 入口には南門の柱の土台の部分もあった。また、かつての守衛所が、今は入場券の交付所になっている。入場は無料だが、IDカードを提示する必要があり、外国人の場合はパスポートを見せなければならない。また、説明を聞くレシーバーがあり、日本語でも説明が聞けるのだが、これは15元いる。

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 ちょっと困ったことに気づいた。予定では9時に入場して12時ごろまで見学するつもりだった。しかし、開館時間が9時から11時と13時30分から15時30分と2時間30分も昼休みがあるのだった。すでに9時30分。果たして11時までの1時間30分で見学できるのだろうか。本部大楼を1時間30分の駆け足で見学しても、外側の見学箇所は無理そうだ。


 自分が持参したガイドブックは05年版の「地球の歩き方」。この年に大連に行ったのでそのときに買ったものだ。その本の記述では9時から16時が開館だったのだが。「周一閉館」は、星期一(月曜)閉館ということだろう。

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  入場券を交付するところには参観路線図が掲示してあった。青い色が本部大楼で展示室になっている。そのあと緑の線に沿って見学するだが、よく読むと1.5kmあるという。跡地内を移動するカートもあるようだが、歩いて移動したい。


 11時まで本部大楼を見学してから、いったん街にでて昼食をとったり街歩きをして、13時30分に外の建築を見るために再訪問することにした。これでこの日は731部隊跡だけで終わりになるがやむをえない。

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 いよいよ本部大楼に向かう。 731部隊の管理棟で、今は展示施設である。

 玄関のところで入場券を見せるとともに、日本語で説明を聞くレシーバーを耳につけてもらう。レシーバーの保証としてパスポートを預けなければならない。展示室に入れば、その部屋の説明が聞けるようになっている。展示室は撮影禁止だった。撮影していた人はたくさんいたが。


 中に入るとまず2階に上がる。そして毒ガスについての展示があった。日本軍の毒ガス研究や日本軍が毒ガスを使った戦闘についての展示であった。満州国では化学兵器を関東軍化学部、516部隊が研究しており、731部隊と共同実験をしたとのことである。

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 そのあと2階でも、毒ガス展示のあった翼とは反対側の翼へ。今度は生物兵器についての展示だ。日本軍の生物兵器研究や実際に日本軍が使った事例についての展示であった。これについては、生物兵器などの人体実験や実戦での使用が果たしてあったのかどうかまでは、自分で判断できなかった。

 2階の端の部屋は、部隊長であった石井四郎の部屋の展示であった。このあと部隊長専用だという階段を下りて1階へ。1階も生物兵器に関する展示が続いていた。 

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 レシーバーを使って説明はすべて聞いたのだが、時間がかかり、外に出るときには11時30分になっていた。すでに他の見学者はおらず、自分が展示室を出るたびに電気が消されていった。でも、早くするようにせかされるようなことはなかった。これはいいことだ。外に出るときにレシーバーと引き換えにパスポートが返された。そして、自分が外に出ると出口が閉じられた。


 この画像は本部大楼の裏側で、柵で囲まれているところは渡り廊下があったところだ。渡り廊下のはじまりの部分が少し飛び出ている。この廊下を通って、地下監獄などのあった四方楼に向かうようになっていた。

 すでに閉館時間になって30分過ぎていたが、外部の遺構も見て回ることにした。注意をされれば、外に出るつもりはしていたが、見学できればそれにこしたことはないので。外に出たところにはカートが並んでいた。開館時間ならこれを使う人も多いのだろう。

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2011年11月04日

朝食後731部隊跡へ出発

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 3日目の朝食。この日は731部隊跡を訪問する予定だ。731部隊跡は9時から開場なのだが、開場と同時に入りたい。バスは1時間ほどかかる見込みなので、7時30分ごろのバスに乗りたい。となると6時30分の朝食サービス開始とともに朝食会場に入りたい。でも身支度に時間をとってしまい少し遅れた。それでも開場10分後に朝食会場の大宴会場「ボルガ」に入った。

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 前日と同じく、セイロに入った温かい点心もいただいた。前日とは違う種類のおかずを中心に盛り合わせた。前日はパスしたデザートもしっかりいただいた。おかげで満腹に。でも、温かいジュースだけは飲めたものじゃなかった。

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 7時30分にホテルを出発。バス停は前日に下調べしていたので、すぐに行けたが、乗ろうとしたバスに客が殺到し、座れそうになかったので、つぎのバスにした。8時過ぎに出発。


 乗ったバスは338系統。「哈站」発で「新疆大街」行き。731部隊跡は終点まで乗り、200mほど戻ったところだ。終点まで乗ればいいのは、降りるところを気にしなくてもいいのでラクチンだ。20kmほどの距離で、市内バスにしては長距離。それで2元。乗るときに1元払い、降りるときに1元払うようだった。途中のバス停から乗車したり、途中で降りるときは、下車するときに乗車区間をドライバーに言って、必要なら1元を払うようだった。途中での乗降りは言葉で困りそうだが、幸い全区間乗車でよかった。

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 「新疆大街」は哈爾浜の南郊の平房区の中心のようで、地下鉄の建設計画が新疆大街まであるようだ。

 ここでも哈爾浜站の前と同じようなオート三輪のタクシーを見かけた。


 バスはちょうど1時間かかり、このとき9時少し過ぎだった。

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2011年11月03日

お惣菜買って部屋で夕食

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 再び中央大街を散歩。17時をすぎ少し早いが夕食をどこでとろうかと考えながら歩いた。建物に明かりがともり始め、一段と風情がでてきた。哈爾浜(ハルビン)は、東方莫斯科(東方のモスクワ)とか東方小巴黎(東方の小パリ)と呼ばれるが、その雰囲気がでてくる時間だ。
 よく見ると、看板にロシア文字が目に付き、ロシア人が多くやってくることをうかがわせる。
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 中央大街の「ユーロプラザ」というショッピングセンターに行ったのだが、その地下でおしゃれなスーパーを発見した。中国では日系のデパートの地下などできれいに整備されたスーパーは入ったことがあるが、他は記憶にない。

 昼食が遅めだったのであまりお腹が減っていなかったこともあり、ちょっと見て回るうちに、ここでお惣菜を買って、ホテルの部屋で食べることにした。

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  缶ビールはハルビンビールと雪花ビール。どちらも3元弱(約35円)。お惣菜は串カツと焼豚で、どちらも5元(約63円)。カップラーメンは3.5元(約44円)。みかんは量り売りで量ってもらって値段のシールを貼ってもらう。2.3元(約28円)。計22元(約275円)。
 
  昨夜と同じく13系統のバスで「哈站」に戻った。ホテルに帰って、風呂に入っている間にビールを冷やしておいた。みかんだけは全部食べられずまだ3個残っています。2個だけ買うのも、なんだかと思い5個にした。たまにはこういう食事もいいものだ。

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松花江

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 さらに10分ほど歩くと松花江(ソンファチャン)に出た。満州語ではスンガリなので、満州国時代の影響で日本でも昔はスンガリ川と呼ばれていたようだ。


 幅1kmはありそうだ。対岸には太陽島があり、行ってみたかったのだが、とてもその余裕はなかった。この川が冬には凍結して、対岸に歩いて渡れるとか。


 ロープウェイと船で対岸とは結ばれていたが、ロープウェイは無人状態で、船も運航されているのかいないのかよくわからなかった。

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 松花江に沿って、幅の広い緑地帯と遊歩道があり、斯大林(スターリン)公園と名づけられている。いまどき、スターリンの名前を冠した地名があるとは驚きだ。


 まだ16時ごろだったが、太陽は沈みかけていて。雨が降ったあとの公園で見る夕日もなかなかいいものだった。


 トイレと売店もかわいらしい造りで面白かった。トイレは翌日の夜に利用したが、屋根には電飾がついていた。

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 松花江大橋を渡る列車。1kmほど離れていたのでぼんやりとしか見えなかったが、望遠最大限で撮影したら何とか列車がわかった。

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 中央大街のところまで戻ると、防洪紀念塔があった。松花江はしばしば洪水をひきおこすのだが、1957年の大洪水に勝利したことの記念碑ということだ。


 1957年の洪水では塔の最上部から少し下に黒い線があるが、そこまで水没したらしい。また塔の土台の石組みのところに横線がついているが、そこは1998年の洪水のときの水位だそうだ。

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2011年11月02日

シナゴーグ(ユダヤ教会)

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   中央大街を離れ経緯街を10分ほど歩くと、新シナゴーグ(新しいユダヤ教会堂)があった。1921年の建築。現在は教会として使われておらず、建築美術館になっている。ソフィスカヤ寺院と同じような扱いになっているようだ。

 画像左下に入場券を売る小屋があるが、行ったときには小屋の窓口は閉ざされ、シナゴーグの入口も閉ざされていて入ることはできなかった。

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 新シナゴーグのところで通江街に入りしばらく歩くと、メインシナゴーグ(メインのユダヤ教会堂)があった。1909年の建築。ドームの上には、ユダヤを象徴するダビデの星がとりつけられている。

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 現在は国際青年旅舎、つまりユースホステルになっている。大きな礼拝堂だったところにベッドがたくさんならんでいるのだろうか。 なんだか見てみたい。宿泊費は格安なのだろうな。ユースホステルの入口の左右には商店が入っている。

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 かつてのユダヤ教の教会学校。1919年建設。1927年に音楽学校になったという。大戦後は普通の中学、今は朝鮮族の中学になっている。


 窓の形は、よく見るとドーム型になっているし、屋根についている塔状の突起物も独特の形をしている。

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 玄関のドアも教会風。この玄関の上の方にドームがある。

 「哈爾浜市朝鮮族第二中学校」、「哈爾浜市韓国語●遊培訓基地」(●は「巳」の下に「寸」)、「哈爾浜市民族科技高級駛業中学校」の看板がかけてあった。韓国語とあらわしていることが意外な感じがした、”韓国”と”朝鮮”をどう使い分けているのだろうか。
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