2017年07月04日

壁を探して歩き回る

ベルリン旅行記2日目3回目


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 ポツダマープラッツから500mほど歩くと、壁が残されている区間がある。この付近は壁の向こう側が旧東ベルリン、壁の手前は旧西ベルリン。西ベルリン側には、ナチス時代に秘密警察(ゲシュタポ)や親衛隊(SS)の本拠地である国家保安本部が置かれていた。その跡地には「テロのトポグラフィー」という名の博物館ができている。ここでいうテロは恐怖、トポグラフィーは、分析、解説というような意味で使われているようだ。


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  壁に沿って、内側(西ベルリン側)には、国家保安本部にあった地下牢が残されていた。牢の区切りがわかるでけで、牢の入口は封鎖されている。22年前に行ったときには整備されていなかったのだが、現在では見学しやすく保存されている。


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 「テロのトポグラフィー」博物館。ナチス時代である1933年から1945年の歴史の展示で、特にナチスによる反対派の弾圧などに重点を置いている。


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 写真展示が多いが実物もあって興味深いものもいろいろあった。それほど大きくない施設だが、一通り見学するのに2時間近くかかった。


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 「テロのトポグラフィー」付近の壁は300mほど残されているが、すでに壊れている部分もあった。午前中に行ったベルナウアー通りの壁に比べると保存状態が良くない。


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 レストランだろうか。チャーリー検問所のほうに向って歩いていると、トラバントが空中に置かれていた。郵便局の車として利用されていたトラバントのようだ。


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 さらに歩き進むとチャーリーチェックポントに到着。右側が西ベルリンの米国占領地区、左側が東ベルリンのソ連占領地区だった。当時の検問所を再建したものだが、意外に小さな小屋だと思った。米兵に扮した人もいた。

 チェックポイントの向う側の建物が「壁博物館」。22年前に訪問したが、またやってきた。


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 車に中に隠れて西側に脱出した人の展示。


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 出入口付近には壁の一部も保存されている。


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 最寄りのコッホシュトラッセからUバーンで南下。狭いホームに売店があった。


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 テンペルホフでSバーンの環状線に乗り換える。ベルリンの環状線の南側の駅だ。


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 環状線はRingだが、時計まわりはS41、反時計まわりはS42と系統番号が異なっている。また、環状線からほかの路線に直通する系統も運転されている。例えば、シェーネフェルト空港行きの系統などが書かれている。環状線とは限らない野で、乗車には注意がいる。 


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 テンペルホフを出てすぐ、線路の北側に、かつてのテンペルホフ空港の跡地が広がっている。


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 テンプタワー駅。ここから15分ほど歩く。


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 やがてシレジア・ブッシュの監視塔に到着。付近には壁は残されていないが、監視塔だけが保存されている。夏季にはこの中に入ることもできるようだが、行ったときは閉鎖期間であった。


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 今はのどかに流れているこの川の左側の川べりに壁があった。壁の内側には緩衝地帯があり、その中に監視塔があったのだ。


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 シュプレー川。ここでは川の右岸に沿って壁があった。


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 川の右岸の壁は残されていて、壁には落書きも描かれたままになっている。それでイーストサイドギャラリーと呼ばれている。イーストサイドギャラリーのはじまりの部分。

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    上左  恐らくこの絵がイースストサイドギャラリーで一番有名な落書きだろう。ロシアのブレジネフ書記長と東ドイツのホーネッカー書記長の熱いキス。ロシアでは親愛の証であるらしいのだが、ドイツではそんな習慣はなくつきあわされた感じだ。


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 イーストサイドギャラリーの最後の部分。


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 まもなくオスト(東)駅に到着。22年前にはオスト駅からラピチッヒなどへ出かけた。東西分断時には東ベルリンのターミナルになっていて、統一後5年後に利用した時も、旧東ドイツ方面へのICE、ICはこの駅を起終点としていた。その後、中央駅ができ、ターミナル機能が移された。いまは中間駅になったっが、大駅であることには変わりがない。


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 オスト駅構内のビアホールで夕食をとっていくことにした。


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 ビアホール内はかなり混雑していたが、空席を見つけることができた。 


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   黒ビールを注文。


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 ケチャップにカレー粉をかけたソーセージであるカレー・ブルスト。


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 ツォー駅まで戻るのに、中距離列車ノツォー駅行きがあったので乗車。本来はツォー駅を経由してもっと遠方の駅に向かう系統だが、夜になってツォー駅止まりになっていた。


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 車内はガラガラ。2階建て電車で2階に乗車した。

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 ツォー駅に到着。ホテルに戻り1日が終了。
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2017年07月02日

アレクサンダー広場からポツダム広場へ散歩

ベルリン旅行記2日目2回目

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   ベルナウアー通りを歩いて、Uバーンのベルナウアーシュトラッセまでやってきた。約1kmにわたって、壁または壁の高さの鉄棒があったのだが、途中の見学個所が多くあり、1時間半ほどかけてじっくり歩いた。

 写真はUバーンの地下駅に下りるところで撮影。右手が旧西ベルリン。


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 Uバーンの車両はどの路線もほぼこのような車両。


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 アレクサンダープラッツで下車。


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 アレクサンダープラッツ周辺は旧東ベルリンで最大の繁華街であったところ。今もベルリン東部の1つの中心になっている。

 テレビ塔。東ドイツ時代のもので、時代を感じさせる形をしている。さかんに宣伝をしていたので、時間の余裕があれば、上ってみようと思ったが、上がるだけの時間はなかった。


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 世界時計。数字の書いてある部分が動いて、世界各地の時間を表示するようだ。旧東ベルリン時代には、これも名所的な存在だったのだろう。


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 世界時計の都市名の表示のひとつ。ピョンヤン、東京、ソウルとなっていて、東ドイツらしさを感じさせられる。


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 大通りを歩いて、ブランデンブルク門まで4kmほどを散歩することにした。

 マルクスとエンゲルスの銅像。この銅像は、22年前には別の場所にあったのを覚えていたのだが、今回は大通りからすぐにわかった。移転させてでも保存しているのは、現ドイツでも偉人の扱いをしているからだろう。東ドイツの痕跡はなんでもなくそうというわけでもなさそうだ。


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 シュプレー川。時間があれば遊覧船にも乗ってみたかったのだが、これも時間がなくて無理だった。川の向かいのビルの最下層(道路よりも低いので地下1階)にDDR博物館がある。


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 DDR博物館。東ドイツの当時のものを集めたような博物館。DDR(デーデーエル)は、Deutsche Demokratische Republik(ドイツ民主共和国)。


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 東ドイツの量産車トラバント。長らくモデルチェンジされていなかったので、走行性能も安全性もデザインも劣り、統一後は急速に淘汰された。その後環境基準を満たしていないことから走行が禁止され、博物館行きになった。


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 アレクサンダー広場から歩いてきた大通りは、カール・リープクネヒト・シュトラッセ。第一次大戦後のドイツ革命で活躍した共産主義者の名が、今も残っている。


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 22年前には、共和国宮殿とも呼ばれた旧東ドイツの国会議事堂があった。統一後、アスベストが利用されていたので、破壊も利用もされずに建っていた。今は破壊され、そのあとに、ベルリン宮殿の再建工事が行われていた。ベルリン宮殿は、かつてのプロイセン王、さらにプロイセンを中心に統一されてできたドイツ帝国皇帝の王宮であったが、第2次大戦時に破壊された。その後、旧東ドイツ時代は、マルクス・エンゲルス広場になってうたが、1970年代に共和国宮殿が建設された。


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 ベルリン宮殿の建設現場の端には、工事の宣伝のための施設があり、宮殿の模型などが展示されていた。


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 さらに歩き進むと、東西分断以前には繁華街であったウンター・デン・リンデンにやってきた。道路は広いが、華やかさはない。


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 22年ぶりにやってきたブランデンブルク門。前回に比べて観光客も少なく、落ち着いた感じになっていた。前回は、まだ壁の崩壊の余韻が残り、壁の象徴であったこの門が観光地化されていたのだろうが、いまは熱気も冷め、静かになったのであろう。


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 Reichstag(国会議事堂)。ドイツ帝国の時代からの議事堂で、現在もReichstagを直訳すれば帝国議会となる。分断後、議会としては利用されていなかったが、統一後ただちに、国会議事堂として使われるようになった。その後、整備が行われ、中央にガラスドームが設置された。無料で見学できるが、予約が必要で、旅行前に予約を試みたが、予約できなかったので、見学はあきらめた。


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 ブランデンブルク門から西に少し行ったところに、ソ連軍の戦勝記念碑がある。分断時代は、西ベルリン内にある東側の飛地として、ソ連兵が警備していた。22年前に行ったときには、まだソ連の戦車などが残されていて驚いたのだが、今回もまだ戦車などが残されていた。


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 記念碑にあるロシア語の碑文。


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 ソ連軍の戦勝記念碑。現在でも連合軍の戦勝記念日である5月8日にはここで式典が開かれる。

 小さな博物館があったが、中には入れなかった。その外側には、写真展示があり興味深く見ることができた。


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  いったんブランデンブルク門まで戻り、かつての壁の跡に沿って南に向った。写真で道路の真ん中に埋められているブロックが壁の跡を表す。かつての壁の跡の道路は幹線道路になっていた。


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 壁の東側にあたるところに、何やら無数の四角い石が置かれていた。ホロコースト記念碑だ。


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 ポツダマープラッツ。壁のあったころ、広場自体が分断されていた。22年前には盛んに工事が行われていた。今は高層ビルが林立し、統一後ベルリンで最も変化が著しい場所かもしれない。


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   ポツダマープラッツでも壁が少しだけ残されている。地面の線が壁の跡を示している。


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 ソニーセンター。屋根がテントになっている。プツダマープラッツのひとつの中心になっている。


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 ソニーセンターで昼食をとっていくことにした。入った店はリンデンブラウ。 


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 ニシンの酢漬けとジャガイモと生野菜。12.5ユーロ。3枚におろしたニシンを酢につけただけのもの。単純な料理だが、あっさりしていて美味しい。


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 ドイツへ来て初のビール。自家製のベルリナー・ピルスナー。8ユーロでほかのビールより少し安いので選んだのだが、すっきりした感じの美味しいビールだった。


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 食事後は壁跡に沿って散歩再開。水道管が上空に設置されているのが面白い。どうしてなのだろう。
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2017年07月01日

ベルリンの壁に対面

ベルリン旅行記2日目1回目

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 2日目は22年ぶりにベルリンの壁を見に行った。22年前の1995年は、ベルリンの壁がなくなってまだ6年しか経過していなかった時点で、何ヶ所も壁が残っていたようだが、現在は保存目的で残されているいくつかの場所だけになっている。反面、22年前は未整備だったものが、現在は整備されて、見学しやすくなっているようだ。

 壁を見に行く前に、ツォー駅の構内で朝食。BACK WERKというパン屋のチェーン店に入る。構内にはほかにもパン屋があったのだが、この店は、セルフで選べるので、言葉を気にせず、値段の計算もしながら、自由に選べるので、この店にした。


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 ベーコンと卵のサンド、ハムとレタスのサンド。コーヒーも自分で機械を操作してカップに注いだものをレジに運んで精算するしくみだ。連日、BACK WERKで朝食をとったのだが、10ユーロでおつりがあるか、もう少し必要な程度。調理パンは日本よりも少し高いと思う。


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 ツォー駅というのは略称で、正式名はZoologischer Garten(動物園)。22年前に訪問したときには、島式ホームのさほど大きな駅じゃないのに、旧西ドイツ方面からのICE、ICの多くは、この駅が起終点になっていた。ベリリンが東西に分れていた当時、この駅が西ドイツと西ベルリンを結ぶ列車(東ドイツ内では乗降できないので封印列車とよばれたらしい)の起終点になっていた名残で、東西ドイツが統一してから5年後の訪問だったにもかかわらず、西ベルリンを代表する駅であった。その後、ベルリン中央駅ができ、ツォー駅は単なる途中駅になっている。


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 ツォー駅から乗車したSバーン。ドイツの大都市ではSバーンとUバーンの鉄道があり、Sバーンが国鉄の近郊電車、Uバーンが地下鉄である。同じ区間を走る場合でもSバーンのほうが駅数が少ないので、このときもSバーンを利用した。


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 Sバーンの車内。この旅ではいろいろな路線のSバーンに乗車したが、ほぼこのタイプの車両だった。22年前は、旧東ドイツ製の古臭い車両がほとんどだった。当たり前だが、大きく変わっていた。


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 フリードリヒシュトラッセで下車。この駅は、東西べルリンに分れていた当時、西側と東側の接点になっていた駅で、当時の設備も見学できるようになっているので、今回の滞在中に見学するつもりだ。


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 フリードリヒシュトラッセの地下駅から別のSバーンに乗車。この路線は分断時はUバーンだったのだが、現在はSバーンになって、かつては市内だけを運行していたのが、現在は郊外へ直通している。


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 2つ目のノルトバーンホフで下車。


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 この駅は、分断時代は「ガイスターバーンホフ(幽霊駅)」と呼ばれていた。西ベルリンから東ベルリンを経由して西ベルリンに向うUバーンが3路線あったのだが、それらの路線では、壁があった当時、東ベルリン内の駅は停車せずに通過した。こうした東ベルリン内の駅は警備の兵士以外は立ち入ることができず、廃墟と化していったのだ。例外がフリードリヒシュトラッセで、この駅だけは、東西を行き来する人のために停車した。


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 ノルトバーンホフの地上の駅舎。


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 分断当時の駅舎。入口や窓がブロックで閉じられている。


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 駅の前の道路を渡ると、ベルナウアー通りに沿って鉄棒が立ちならんでいる。鉄棒の高さが壁の高さだ。また、写真の左端を見ると、鉄棒の延長線上にブロックが埋められているのがわかる。壁があった位置を示すためのブロックだ。このブロックによる壁跡の表示は、ベルリン全体でなされている。なお、通りの向うが旧西ベルリン。 


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 鉄棒が並ぶ区間が終わり、その先には壁が残されていた。壁の最上部は丸くなっていて、つかまりにくくなっている。ここの壁は200mほど続いている。


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 壁の東側は、今は公園になっているが、壁があった頃は緩衝地帯になっていた。50mほど東側には、内側の壁があり、その間の緩衝地帯を、ところどころにあった監視塔から兵士が目を光らせていた。写真の右側に写っている照明灯も壁があったときのもの。


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 内側の壁は壊されてその残骸が立てられていた。


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   壁があった当時の航空写真。下側は東、上側が西ベルリン。壁に沿って、西側には道路があり、それがベルナウアー通り。壁の東側に50m幅の緩衝地帯があり、その東に内側の壁があった。


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 壁があったときの緩衝地帯の写真。


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 ベルナウアー通りの西側にある、ベルリンの壁記念センター。センターには壁のあった当時の写真などが展示されている。また、上部から壁の跡を見ることができる。


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 センターの上部から見た緩衝地帯。監視塔も残されている。緩衝地帯の中は、上部からでないと見えない。なぜなら、この付近では、緩衝地帯の東側にある内側の壁も残されているからだ。


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 1985年には、緩衝地帯に残されていた贖罪教会が破壊された。そのときの写真。

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 贖罪教会があったところには、「和解の礼拝堂」が建てられている。


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   東西ベルリンの境界に建物があった場合、壁ができた最初は、東側の窓から飛び降りて西側に逃れた人もいた。そのため、西側に面した窓はブロックで閉鎖された。


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 その後、境界にあった建物は取り壊され、住民は立ち退きさせられ、緩衝地帯が完成した。かつてあった建物の土台部分の展示。


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 東側から壁の下を通るトンネルを掘って西側に脱出した人もいる。そのことを示した展示もあった。
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2017年06月24日

エアベルリンでベルリン到着

ベルリン旅行記1日目3回目


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 シャルル・ドゴール空港に到着。シャルル・ドゴール空港は、1年3か月ぶり。前回はオランダに行ったときに、往復ともパリ経由にしたので利用している。前回は、度重なるテロの影響で、今までになく厳重な入国審査があり、乗継でどこに向うか聞かれたりした。ところが今回は、昔と同じように、ほとんどパスポートも見ないような入国審査だった。おかげで、スタンプは、普通なら押されないはずの追記欄(パスポートの最初のほうのページ)に押されていた。

 そのあと、ターミナルの移動。ターミナル2Eに到着後、ターミナル3に向う。ベルリンへはエア・ベルリンで向かうのだが、半LCCといえるエア・ベルリンは、LCC用のターミナル3を使うのだ。ターミナル1と2を結ぶシャトルに乗車し、中間にあるターミナル3で下車する。


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 ターミナル3はシャトルを下車後15分ほど歩かねばならない。通路は屋根はついているが簡素なもの。途中にバスターミナルがあり、シャトルの中間駅はもともとはバスターミナルのために作られたような感じだ。


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 さらに歩き進むと、幹線道路を横断歩道で渡ったり、高速道路の下の長いトンネルを歩いたりする。


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 ようやくターミナル3に到着。いかにもLCC用らしい、プレハブ製の工場って感じのターミナルだ。エア・ベルリンのカウンターを探して、チェックイン。


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 保安検査場で30分近く待たされ、搭乗に間に合うかドキドキさせられた。ぎりぎり搭乗時刻に間に合ったと思えば、それからまた20分待ち。搭乗時刻を早めに指定しているのはLCCによくあることだ。

 搭乗便は、ベルリンのテーゲル空港行きAB8297。


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 しばらくゲート前で待った。ゲートにはブリッジはなく、このターミナルはバス連絡専用だった。


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 搭乗機は、エアベルリンの姉妹会社のオーストリアのニキ航空の塗装がしてあった。搭乗するのは純然たるエアベルリン便でコードシェアではないのでニキ航空はエアベルリンと一体化して運航されているのかもしれない。


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  エアベルリンはLCC的な会社であるが、無料の機内食が提供されるという情報もあって、期待していた。しかし、無料の機内食はなく、有料のものも特に試してみたいものはなく、機内販売では何も買わなかった。買っていた人も少なかった。


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 1時間40分ほどの飛行でテーゲル空港に到着。着いたのはターミナルEで簡素な建物でエアベルリン専用の感じだった。復路でわかったが、メインのターミナルであるターミナルAもエアベルリンがチャックインカウンターの多くを占め、この空港の主役はエアベルリンだと実感した。


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 ターミナルEから10分ほど歩いて着いたターミナルA。これがメインのターミナルだが、何とも古いつくりで小さなターミナルだ。首都の玄関空港とは思えない。現在、新空港(ブランデンブルグ空港)が建設中で、新空港ができれば、テーゲル空港は廃港される。

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 ターミナル案内図。右上がターミナルE、左上がターミナルA。赤丸が案内図の位置で、上のターミナルAもここから撮影した。このすぐそばから空港バスに乗車した。


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 X9の空港バスに乗車。ベルリンの市内交通はSバーン、Uバーン、バス共通の1日券があり、市内中心部のAゾーン用。市内中心部とその周辺部を含んだABゾーン用などがある。テーゲル空港はBゾーンにあるので、ABゾーン用の1日券を買って、X9の終点であるツォー駅まで乗車する。


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 車内には荷物置き場もある。


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 20分ほどで終点のツォー駅に到着。


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 ホテルに向う途中、ツォー駅の1階にあるスーパーに飲物などを買いに立ち寄り。


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 アンペルマンと言われる、小人を描いた信号。旧東ドイツで使われていたもので、統一後、旧西ベリリンでも使われるようになり、現在ではほかのいくつかの旧西ドイツの街でも使われるようになったという。旧東のものが統一後、全国で使わるという例はほとんどないが、信号だけは別のようだ。


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 バスの車窓からホテルが見えていたので、迷わずにホテルに到着。ウィンダム・エクセルシオールに4泊する。

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   室内。古い感じのホテルだったが、室内はきれいに整備されていた。部屋は思っていたより広く、冷蔵庫も使えてよかった。シャワーではなくバスであったのもよかった。

 長かった初日が終了。
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2017年06月22日

JL415(成田→パリ)搭乗記

ベルリン旅行記1日目2回目


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  成田に到着。乗ってきたばかりのB767は上海行きになるようだ。内際連絡通路を使い、保安検査場も出国審査場もほとんど待つことなく通過し、国際線制限区域へ。

 すぐにファーストクラスラウンジへ。荷物を置いて向ったのは、握り寿司コーナー。出発前に、その場で握ってもらえる寿司をいただけるのはうれしい。


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 まぐろ3貫を握ってもらった。


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 そのあと、いろいろつまみながらシャンパンをいただいた。


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 締めには、ビーフゴロゴロのカレーをいただいた。ご飯は少しにしておく。


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 搭乗時刻が近づき、ゲートに向った。


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 搭乗したB787、パリ行き。


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 ベルリンに行くのにパリ経由にしたのは、予約のとき、旅行を考えていた日は、欧州方面でマイルを使ってビジネスクラスにアップグレード可能な席が成田発パリ行きに1席残っていただけだたからだ。同じく、帰国日はフランクフルト発成田行きで1席残っていただけだった。今回はマイル利用でアップグレードしていこうと思っていたので、必然的に、行きはパリ行き、帰りはフランクフルト発の便となった。  B787のスカイスート化された機材はSS8とSS9がある。B787の場合はSS8、B787-9の場合はSS9だ。今回は行きがSS8、帰りがSS9利用で、どちらも今回の旅がはじめての利用だ。

 SS8は、両方の窓側に席が1席、中央に2席がある。SS7なら両方の窓側が2席、中央部が3席なので、機体がやや小さいことがわかる。


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 窓側の1席は、前後で少しづつずらして席を配置してある。


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 自分の席。


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 今回JALでは初めて、離陸前のウエェルカムドリンクを経験した。シャンパンとオレンジシュースがあり、シャンパンをもらった。

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 水平飛行に入ってからの飲物は、獺祭(だっさい)を選んだ。人気の日本酒で知られているが、初めてJALの機内の日本酒に採用されていたので、迷わずに選んだ。

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 おつまみ。獺祭をちびちび飲みながらいただいた。


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 前菜。生野菜のサラダだが、青い葉など見たことがないものが混じっていた。


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 サーロインステーキ。柔らかく、美味しくいただけたが、少し量的に物足らなかった。


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 コーヒーとデザート。


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 非常口付近には春を感じさせるサクラの造花が美しい。


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 2回目の食事は、野菜カレーと野菜サラダを選んだ。


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 フルーツとコーヒー。


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 到着が近づいてきた。ラストオーダーを聞かれたので最後にもう一品頼んだ。


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チキンサンド。これは冷えた状態のもので、美味しくなかった。珍しくハズレ。


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 アイスクリームと紅茶。アイスはディーン&デルーカだった。
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2017年06月21日

伊丹DPラウンジ初利用&B767になった成田便

2017年3月に行ったベルリンの旅行記をはじめます。

ベルリン旅行記1日目1回目

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 今回の旅行は、約6か月ぶりに伊丹からの出発だ。この間、関空からの出発が続いたためだ。

 前回の伊丹からの出発だった2016年10月、約1週間後に、保安検査場の上にあるJALサクララウンジがダイヤモンド・プレミアラウンジに変わることになっていた。とはいうものの、内装工事は行われておらず、内装や椅子などは、変わらず、食事が追加されて、ダイヤモンド・プレミアラウンジになるのだろうと予測できた。1週間後に、変わったあとの利用者の報告を読むと、やはり食事以外は、以前と変わらないというものであった。


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 ダイヤモンド・プレミアラウンジになってから、すでに6か月近くたっているのだが、利用するのははじめてだ。やはり、内装や椅子などは、サクララウンジだったときと変わっていない。

 変わったのは食べ物が豊富になったことだ。おにぎり2種、パン2種に、味噌汁と担々スープがいただけるようになっていた。おにぎりとパンを1つずついただき朝食とした。味噌汁それに、コーヒーカップに入っているのは担々スープだ。そしてビール。なかなか美味しい。昼前からはカレーパンもいただけるが、この時間帯はない。


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  成田行きJL3002の搭乗時刻が近づき、ゲートへ。ここで、伊丹空港のターミナルの工事を知った。南のANA側と北のJAL側をつなぐ通路が閉鎖。その通路に設置されている14番ゲートへも行けない状態になっている。以前はJL3002は、14番ゲートから出発していた。今回は16番ゲートだ。


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 JL3002は国際線用のB767であった。最初に予約を入れたときには、B777が使われる予定になっていて、SS7のビジネスクラスがクラスJとして利用されていて、クラスJを予約していた。しかし、それが機材変更によりB767に変わったことが、ホームページで予約確認したときに判明。そのときは、国内線用のB767に変更になったものとばかり思っていた。国際線用のB767への変更とはじめて知った。


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 JL3002では、クラスJはビジネスクラスの席を利用しているのだが、古いタイプであるスカイラックス。国内線用のクラスJよりは座りごこちらがいいので、良しとしよう。でも、B777のSS7の席に座れることを期待していたので、ちょっと残念だった。


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 飲物サービスではコーヒーをいただいた。

 このあと、シートを倒して、しばらくくつろいだが、まもなく降下に入り、席を戻した。
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2017年04月02日

間もなく帰国 & 帰国しました

JL408でフランクフルトから成田に向かっています。機内wifiを利用しています。まもなく帰国です。

ベルリン2日目は、東ドイツの秘密警察のシュタージの刑務所へ。見学ツアーの待ち時間と見学ツアーでかなり時間を要しましたが、印象深いところへ行けたと思います。そのあとは、シュタージの本部があったところがミュージアムになっていて、見にいきました。ここも見学に時間がかかり、この日はシュタージ関連2ヶ所に行っただけでした。時間切れで見られませんでしたが、しゅたーじの集めた個人資料の公開もしていました。東ドイツの消滅から27年ですが、シュタージの追求は今も続けられているのも驚きでした。疲れたこともあり、夕食はスーパーでいろいろ買って部屋でいただきました。こういうのもたまにはいいですね。

3日目は、ザクセンハウゼンの強制収容所に行きました。ナチス時代の強制収容所は、アウシュヴィッツをはじめとしていくつか訪問しているのですが、またいってきました。ここの特徴は、前身がナチス時代の最初の強制収容所だったこと、各地の強制収容所を統括する本部があったこと、第2次大戦後、ソ連が東ドイツを占領していた当時、ソ連による収容所があったことなどです。ここの見学にも時間を要しました。ベルリンに戻った後、壁があった当時に、西側との出入口であったフリードリヒシュトラッセ駅に残る、東から西に戻る人たちの検問所の建物へ行ってきました。中ではかつての検問所を再現しています。最後に東ドイツについてのミュージアムに行きました。たまたまですが、その近くにベルリンで最も古くからあるビアガーデンで夕食をとりました。

そして最終日は、西ベルリンにあった核シェルターを見学後、ホテルをチェックアウトし、空港に向かいました。フランクフルトへはルフトハンザを利用しました。そしてJALに乗り継いだわけです。


【帰国後の追加です】

成田に到着しました。伊丹への乗り継ぎ待ちをしているところです。3年ほど前は、成田での乗り継ぎの国内線の保安検査場で長く待たされるのが辛かったですが、今や、LCCが第3ターミナルにうつったことと、JAL便もある程度は羽田に移ったこととで、閑散とした保安検査場でした。このあと、伊丹へ向かい、帰宅します。

なるべく早く旅行記に取りかかりたいのですが、今、年末年始のヤンゴン旅行記を書いています。そのあと、2月の高雄旅行記、3月の台北旅行記を完成させてからベルリン旅行記に取りかかろうと思います。
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2017年03月30日

ベルリン滞在中

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ベルリンにやってきました。1日目はパリ経由で移動だけでした。パリからベルリンははじめてのエアベルリン。半LCCといってよいような会社ですね。テーゲル空港に着いたのが遅くて、SIMが買えませんでした。2日目も街中をあるているだけでは携帯ショップも見当たらなかったので、今回はSIMなしです。ショッピングセンターに入ったりしたら、店があったかもしれませんが、観光時間を削りたくないので、今回は買いません。

で、ネットが使えるのは、ホテルのwifiのみ。幸いホテルのネットはなかなか良いです。今回は予定をほとんど立てずにやってきたので、いくところを決めるために調べることが多くて助かっています。調べ物が多くて、昨日はここでの報告もできませんでした。

2日目からベルリン観光スタートでしたが、ベルリンに壁にかかわるようなところを回りました。写真はベルナウアー通りというところに残されている壁です。ここは今回はじめてやってきました。かなりの区間にわたって壁が残されているうえ、監視塔や見張りのためのライトなど見るものがおおく、近年、ミュージアムもできたので、このエリアだけで2時間くらい過ごしました。

そのあとも、壁のあとやミュージアムをみました。さらに前回来たときには、建物の地下だけが残されていたナチスの秘密警察ですが、ミュージアムができていて、ここも見て回るのに時間を要しました。8時半にホテルをでて、21時半に帰りました。この中には3食とも外食にした食事時間も入っていて、注文した料理が出てくるのに時間がかかったことも影響しています。

旅行前には、博物館島も行ってみたいと書いていましたが、ホテルのwifiを使って調べた結果、今回は20世紀に入って起こった出来事に関係深いところを中心にみて回ろうと気持ちが変わって来ました。きょうは東ドイツの秘密警察のミュージアムなどを回ろうと思います。

posted by とんび at 11:59| Comment(8) | ドイツ

2017年03月26日

22年ぶりにベルリン再訪

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つぎの旅行は久しぶりにヨーロッパで、ベルリンに行ってきます。ベルリンを含めてドイツ各地周遊の旅をしたのは1995年。ベルリンは2日半、各地をみてまわりました。写真は1995年当時に残っていたベリリンの壁。1995年段階で壁が残っていたのは、ここともう1ヶ所だけだったのですが、今回もこの2か所に行ってこようと思います。前回の訪問は、壁がなくなったのは1989年でしたから、まだ壁がなくなって6年目でした。今回は壁がなくなってから28年たっています。壁ができたのは1961年ですから、壁は1989年まで28年間あったことになります。28年あった壁がなくなってから28年ということで歴史の流れを感じます。

そのほか、22年前に訪問したところをなるべく全部、再訪問しようと思っています。加えて、前回の訪問から現在までの間に新たにできたスポットもたくさんあります。新しいところも回ろうと思っています。予定している観光時間は3日半なのですが、この日数で行けるか微妙です。郊外のポツダムも再訪したいのですが、どうなるかわかりません。


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22年前、Sバーン(郊外電車)では、このような電車がバンバン走っていました。旧東ドイツ製の電車でした。もはや、このような電車はないでしょうが、どのような電車にかわっているかも楽しみです。

博物館島でさまざまなミュージアムをめぐるのも楽しみです。ドイツへ行ったのは5年ほど前にも短期間行きましたが、そのときはエッセン、ドルトムントなど西部を回りました。そのときも、ビールやソーセージなどを味わいましたが、再び味わえるということも期待しています。

ヨーロッパの中で、行きたい都市は数多くあるのですが、なぜベルリンにしたのか。昨年秋ごろですが、今回の旅行をどうしようかと思い、JALのホームページをいろいろ見ていました。すると希望日程で、行きはパリ行、帰りはフランクフルト発にすれば、マイルでアップグレード可能なチケットが残っていたので、行先を考えず、チケットだけ購入しました。この時点では、ヨーロッパのどこかに行くことだけ決めました。そのあとで、ヨーロッパ内のどこに行くか、あれこれ考え、ベルリンにしたわけです。

ところで、上の日程表で、行きの伊丹発成田行はクラスJ、帰りの成田発伊丹行は普通席になっていますね。これまで、成田便を使うときは、伊丹からのアクセス便は、予約時にクラスJeクーポンを使ってクラスJにしてきました。しかし、3月末をもって、クラスJeクーポンは廃止されます。それで、帰りの便は、普通席でしか予約できなかったのです。成田に着いた後、カウンターでクラスJのアップグレードを申し込もうと思いますが、たぶん無理でしょう。Jl3005は小型機でクラスJもわずかなので。

あと、行きのJL3002が767になっていることも注目点ですね。従来、伊丹発成田行の朝便は国際線の777が使われてきて、クラスJは国際線のビジネスクラス席でしたが、国内線用の普通の飛行機になったようです。最初予約したときは777だったのですが、後日に機材変更がありました。3月末からのスケジュールで777の使われる路線が変更になったことの余波だと思います。これが一時的な変更なのか、それとも永続的に続くのかも気になります。
posted by とんび at 12:37| Comment(4) | ドイツ

2013年10月29日

JL408搭乗記

ルール(デュッセルドルフ・デュイスブルク・エッセン・ボーフム・ドルトムント)旅行記4日目3回目

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 JL408の搭乗手続開始は17時15分。フランクフルト空港駅からターミナル1の中を通って、スカイラインでターミナル2に向かい、チェックインカウンターの並ぶフロアにやってくると、ちょうど17時。すでにJAL便に乗る客が多く集まっていた。開いているベンチで預ける荷物と機内持ち込み荷物を分ける作業などをして搭乗開始を待った。

 搭乗手続き開始。開始前から並んでいなかったが、ファーストクラスカウンターを利用できる資格があり、誰も待たずにチェックインすることができた。そのあと、出国審査場で5分ほど待たされ、制限区域内へ。フランクフルト空港は、シンガポールなどと同じく、搭乗ゲートに入る際に保安検査がある。

 JALのラウンジに直行し、シャワー利用を申し出た。2室しかないのだが、幸いすぐに利用することができた。暑い季節じゃないが、夜行便に乗る前にシャワーを利用できるのはうれしい。


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 シャワーから出た後、冷たいビールを一杯。

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 ラウンジの食べ物に長いウインナーがあるのがドイツらしい。機内食に備えて、ラウンジでの食事はセーブしておいた。

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  ビールはもう1本いただいた。

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 いよいよ搭乗時刻。居眠りしていたら、回りに人がいなくなっていて、あわてて保安検査場へ。プライオリティレーンを使えるのだが、ラウンジの客が大挙押し寄せて、かなり待たされた。それでも、ゲート前では待たされることなく、そのまま機内に入っていった。

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 定刻に出発。日本には台風が近づいていて気になっているが、この便が到着するころには通り過ぎている。多少のゆれがあるとアナウンスがあったが、定刻に予定だという。ベルト着用のサインが消えると、飲物サービス。シャンパンをいただく。

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 おつまみのときには、白ワインをいただく。

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  食事のときには赤ワインをいただいた。

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 帰国便では和食を選ぶことが多く、今回も和食にした。

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 台の物も含めるとかなりのボリュームになった。

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 デザートとコーヒー。

 食事後は、往路でも利用したSKY WiFiを使ってみた。飛行機に乗ってまでわざわざ使うほどではないという思いもあるが、特典で実質無料だとなるとやはり使いたくなってしまう。

 2時間ほどシートをフラットにして居眠り。

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 2回目の機内食は、まず和風おろしハンバーグをオーダー。飲物はドイツ製のビール。

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 しばらくしてから、きのこペペロンチーノをオーダー。

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 さらに、鮭いくら丼。

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 最後にアイスクリームとフルーツ。

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 フランクフルトからの便はほぼ定刻に成田に着くかと思っていたが、日本上空に入ってからスローダウン。普段なら新潟あたりから成田へ向かうが、この日はいったん、いわき市あたりで太平洋に出て大回りするなどして、30分ほど延着。さらに、成田到着後もゲートに入れず、30分ほど機内で待たされた。午前中の台風通過にあわせて、海外から出発を遅らせた便が集中して、下りられなく、下りてもゲートがいっぱいだったのだろう。

 成田空港の第2ターミナルの本館とサテライトを結んでいたシャトルが廃止されていてびっくり。かわりに連絡通路がつくられていて、動く歩道もあった。2週間ほど前からシャトルから連絡通路になったらしい。シャトルの場合、待ち時間があるので、ぎりぎり乗れなかった場合、待ち時間が2.3分だったが、その2,3分で歩けてしまうので改善だと思う。

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 成田からはJL3005で伊丹へ。着陸が遅れたため、乗継時間が30分しかなく、急いだが、その必要はなかった。搭乗口で40分ほど待たされ、さらに機内でも40分待った。この便は伊丹からの便の折り返しだったが、その前のフライトが遅れたため遅れたようだ。加えて、成田では台風の影響をさけて出発を遅らせていた海外行きの便が続々と出発するので、この便の出発も遅れた。伊丹には90分遅れで到着。この便はさらに、福岡行きになるが、85分遅れの案内が出ていた。自宅に帰ったのも、予定の90分遅れ。異常事態なので、90分遅れの帰宅ぐらいはラッキーだった。

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HPに旅行記「ルール地方」編を掲載しました。http://tombi00.sakura.ne.jp/german/german20.htm


posted by とんび at 22:32| Comment(2) | ドイツ