2017年04月09日

北朝鮮による爆弾テロのあったアウンサン廟へ

ヤンゴン旅行記4日目2回目


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 2つの興味深いパゴダを見た後は、カンドージー湖をながめて、そのあとモヒンガーの有名店で昼食をとって、2日前には閉まっていたアウンサン廟に向かう予定だ。

 カンドージー湖へは1km強なので歩いたが、日蔭がほとんどない歩道が続いたので閉口した。

 突然、エスカレータを備えた屋根付き歩道橋があってびっくりした。しかもエスカレータに近づくと動いたのでさらにびっくり。


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  カンドージー湖。水草が浮かんでいて、3日前に行ったインヤー湖ほどきれいではない。カフェがあるので、休もうかとも思ったのだが、すぐあとに昼食のつもりだったのでパス。


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 再びシュエダゴン・パゴダの近くへ。今度は東門の近くだ。商店街になっている。花屋が何軒も続く一角があった。

 この付近にモヒンガーの有名店があるとガイドブックに書かれていたのでやってきたのだ。それらしき付近を数往復して探したのだが、結局わからずじまい。モヒンガーはあきらめ、アウンサン廟を見た後、2日前に行ったミャンマー料理店に再び行こう。

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 シュエダゴンの東門。この日はシュエダゴンには参拝しないのだが、アウンサン廟に行くためには、参道の階段を途中まで上る必要がある。裸足になって屋根付きの階段を少し上がった。


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 参道の途中に幹線道路が交差している。写真は南門の方向を撮影している。南門の前から緩い上りになっていて、東門よりは高い位置を道路が通っているのだ。このすぐ近くに、シュエダゴンの丘の上に上がるためのエレベーターがあった。


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  幹線道路を進むと、シュエダゴンの北側にアウンサン廟がある。入口には人は見えず、2日前に続きまたも入れないのかと思ったが、中に入ることができた。


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 中に入ると、右手に軍の詰所のようなのがあり、そこで名前とパスポート(ミャンマー人はID)の番号を書かされた。外国人は入場料がいるようで、お金を集めにやってきた掃除人に3000チャットを払うと、胸にシールを貼られた。MARTYRは殉教者の意味で、アウンサン以外にも独立に尽くした人物が葬られている。だから正確には「殉教者廟」なのだが、一般的には「アウンサン廟」とよんでいるようだ。


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 墓まで200mほどの間にパネル展示がおこなわれている。葬られている人物の功績の紹介だ。ほとんどミャンマー語だけなのだが、雰囲気は伝わってきて、何を言いたのかわかるところも多い。

 アウンサン将軍のパネル展示は特に詳しい。

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 アウンサンは、第2次大戦時に日本の支援で独立のための軍を立ち上げ、イギリス軍を淘汰した。しかし、日本軍が劣勢になると、イギリス側に寝返り、戦後の独立をめざした。イギリスは独立を認めず、英領ビルマ政府の代表として独立交渉を行った。独立が目前になったときに、暗殺された。交渉によって独立した点が、独立戦争を経験したインドネシアやベトナムと異なる。

 写真は、アウンサンの一家。真中の下が長女であるアウンサン・スー・チー。


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 1983年、北朝鮮が、アウンサン廟を訪問した韓国の全斗煥大統領を暗殺するための爆弾テロを起こした。大統領は無事だったが、韓国人、ミャンマー人の死者が出た。

 ミャンマー(当時はビルマ)はすでに軍事独裁政権の時代になっていて、国名も「ビルマ連邦社会主義共和国」で、北朝鮮寄りの国であったが、この事件で北朝鮮と断交。(軍事政権末期の2007年に国交回復した。)

 そして、この廟も爆弾テロのあと閉鎖され、11年前のミャンマー旅行のさいも閉鎖されたままだった。11年前の時点では、軍事政権がアウンサン・スー・チーの人気上昇につながる危険を感じての閉鎖だったと思う。ここが開放されたのは2013年。ただ、毎日開いてるわけじゃなく、土日だけということは知らず、2日前にやってきて入れなかったわけだ。

 写真が、殉教者たちの墓が並ぶ廟。真っ赤にぬられている。この屋根の上に爆弾があったのだという。墓は9つあり、真ん中がアウンサン将軍の墓。


////////////追加//////////////
偶然ですが、この記事をアップしたその日の夜、民放の番組で大事件を振り返るような番組をやっています。(たった今です)
そこでアウンサン廟の爆破事件も取り上げられていました。
その映像によると、事件当時のアウンサン廟は現在の廟とはまったく異なる形をしていたようです。
屋根の上にどうやって爆弾を設置するのかと思いましたが、当時は墓が並ぶ上に屋根があって、それが爆破されたことがわかりました。
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   アウンサン将軍の墓。他の墓よりは少し大きくつくってある。

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 廟の前には階段がある。撮影している自分の背中の側にも門があったが、閉鎖されていた。外国要人がミャンマーを訪問するときは、ここで献花することが多いようで、最近では安倍首相も同様であったらしい。その場合、閉鎖されている門から入場し、階段を上がるのだろう。

 ハングルで書かれた銘板もあり、爆弾テロ犠牲者の慰霊碑と思われる。再び入場した入口へ戻り、退出した。この間、30分ほどだが警備の軍人と掃除人以外は誰も入場していなかった。
posted by とんび at 13:02| Comment(2) | ミャンマー
この記事へのコメント
とんびさん、こんばんは。

アウンサン廟の今を初めて見ました。
タヌキ猫は、やはり最近の北朝鮮に関する報道
の一部として、こういった出来事があったと知ったところです。

やはり、昔の映像と見比べると随分と雰囲気も
異なるようですね。

今も、特別な意味をもつ施設のようですが
こうして訪れられた写真を通して見れるというのは、これからまだまだ変化するであろう
ミャンマーを感じました。


タヌキ猫でした。
Posted by タヌキ猫 at 2017年04月09日 23:42
>タヌキ猫さん

この爆破事件をとりあげた報道番組は偶然、見ていました。ブログで爆破事件の場所を訪問したとアップしたまさにその夜に報道されていたのでびっくりでした。かなり前の事件ですので、の報道番組で事件のことをお知りになった方も多いかと思います。

自分も、報道番組で、事件当時と現在では、廟の位置は同じだけれども形は全然違っていることをはじめて知りました。屋根の上に爆弾があったということで、どうして事前に発見できなかったのだろうと疑問に思っていたのですが、報道番組を見て解決しました。廟そのものだけじゃなく、敷地内の全体が一新されたこともわかりました。
Posted by とんび at 2017年04月10日 02:16
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