2017年04月11日

再度アウン・トゥカで昼食

ヤンゴン旅行記4日目3回目


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  アウンサン廟を出て向ったのは、2日前にも行ったアウン・トゥカ。最初に予定していた店がどこにあるかわからなかったので、経路などから考えて、ここしか思い浮かばなたった。


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 今回は、屋内のテーブルに空きを見つけ、屋内で食べた。


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 この日の昼食。調理場まで行って、並ぶ料理に指さして選んだのは2日前と同じ。なるべく、2日前とは別の料理を選んだ。 


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 何か尋ねると、フィッシュと答えられたが、何の魚かは不明。身を細かく刻んであるのが特徴。2日前は、まだ形が残るフィッシュを食べたので、別のものと考える。


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 とうもろこし。とうもろこしの身をすりつぶしたような料理だ。


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 チキンのカレー煮。一品くらいは油ギトギト系があってもいいだろう。


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 無料のつけあわせ野菜。にんじんはかなりひからびている。何度も使いまわされているのだろうからやむを得ないか。


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 ミャンマービール。炎天下を歩いてきたあとなので、実にうまい。


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 無料のスープ。ネギや竹の子が入っていて、見た目は和風のスープだ。味はチキンからとった出汁がでていて、濃いスープだ。 
posted by とんび at 23:57| Comment(0) | ミャンマー

2017年04月09日

北朝鮮による爆弾テロのあったアウンサン廟へ

ヤンゴン旅行記4日目2回目


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 2つの興味深いパゴダを見た後は、カンドージー湖をながめて、そのあとモヒンガーの有名店で昼食をとって、2日前には閉まっていたアウンサン廟に向かう予定だ。

 カンドージー湖へは1km強なので歩いたが、日蔭がほとんどない歩道が続いたので閉口した。

 突然、エスカレータを備えた屋根付き歩道橋があってびっくりした。しかもエスカレータに近づくと動いたのでさらにびっくり。


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  カンドージー湖。水草が浮かんでいて、3日前に行ったインヤー湖ほどきれいではない。カフェがあるので、休もうかとも思ったのだが、すぐあとに昼食のつもりだったのでパス。


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 再びシュエダゴン・パゴダの近くへ。今度は東門の近くだ。商店街になっている。花屋が何軒も続く一角があった。

 この付近にモヒンガーの有名店があるとガイドブックに書かれていたのでやってきたのだ。それらしき付近を数往復して探したのだが、結局わからずじまい。モヒンガーはあきらめ、アウンサン廟を見た後、2日前に行ったミャンマー料理店に再び行こう。

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 シュエダゴンの東門。この日はシュエダゴンには参拝しないのだが、アウンサン廟に行くためには、参道の階段を途中まで上る必要がある。裸足になって屋根付きの階段を少し上がった。


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 参道の途中に幹線道路が交差している。写真は南門の方向を撮影している。南門の前から緩い上りになっていて、東門よりは高い位置を道路が通っているのだ。このすぐ近くに、シュエダゴンの丘の上に上がるためのエレベーターがあった。


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  幹線道路を進むと、シュエダゴンの北側にアウンサン廟がある。入口には人は見えず、2日前に続きまたも入れないのかと思ったが、中に入ることができた。


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 中に入ると、右手に軍の詰所のようなのがあり、そこで名前とパスポート(ミャンマー人はID)の番号を書かされた。外国人は入場料がいるようで、お金を集めにやってきた掃除人に3000チャットを払うと、胸にシールを貼られた。MARTYRは殉教者の意味で、アウンサン以外にも独立に尽くした人物が葬られている。だから正確には「殉教者廟」なのだが、一般的には「アウンサン廟」とよんでいるようだ。


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 墓まで200mほどの間にパネル展示がおこなわれている。葬られている人物の功績の紹介だ。ほとんどミャンマー語だけなのだが、雰囲気は伝わってきて、何を言いたのかわかるところも多い。

 アウンサン将軍のパネル展示は特に詳しい。

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 アウンサンは、第2次大戦時に日本の支援で独立のための軍を立ち上げ、イギリス軍を淘汰した。しかし、日本軍が劣勢になると、イギリス側に寝返り、戦後の独立をめざした。イギリスは独立を認めず、英領ビルマ政府の代表として独立交渉を行った。独立が目前になったときに、暗殺された。交渉によって独立した点が、独立戦争を経験したインドネシアやベトナムと異なる。

 写真は、アウンサンの一家。真中の下が長女であるアウンサン・スー・チー。


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 1983年、北朝鮮が、アウンサン廟を訪問した韓国の全斗煥大統領を暗殺するための爆弾テロを起こした。大統領は無事だったが、韓国人、ミャンマー人の死者が出た。

 ミャンマー(当時はビルマ)はすでに軍事独裁政権の時代になっていて、国名も「ビルマ連邦社会主義共和国」で、北朝鮮寄りの国であったが、この事件で北朝鮮と断交。(軍事政権末期の2007年に国交回復した。)

 そして、この廟も爆弾テロのあと閉鎖され、11年前のミャンマー旅行のさいも閉鎖されたままだった。11年前の時点では、軍事政権がアウンサン・スー・チーの人気上昇につながる危険を感じての閉鎖だったと思う。ここが開放されたのは2013年。ただ、毎日開いてるわけじゃなく、土日だけということは知らず、2日前にやってきて入れなかったわけだ。

 写真が、殉教者たちの墓が並ぶ廟。真っ赤にぬられている。この屋根の上に爆弾があったのだという。墓は9つあり、真ん中がアウンサン将軍の墓。


////////////追加//////////////
偶然ですが、この記事をアップしたその日の夜、民放の番組で大事件を振り返るような番組をやっています。(たった今です)
そこでアウンサン廟の爆破事件も取り上げられていました。
その映像によると、事件当時のアウンサン廟は現在の廟とはまったく異なる形をしていたようです。
屋根の上にどうやって爆弾を設置するのかと思いましたが、当時は墓が並ぶ上に屋根があって、それが爆破されたことがわかりました。
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   アウンサン将軍の墓。他の墓よりは少し大きくつくってある。

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 廟の前には階段がある。撮影している自分の背中の側にも門があったが、閉鎖されていた。外国要人がミャンマーを訪問するときは、ここで献花することが多いようで、最近では安倍首相も同様であったらしい。その場合、閉鎖されている門から入場し、階段を上がるのだろう。

 ハングルで書かれた銘板もあり、爆弾テロ犠牲者の慰霊碑と思われる。再び入場した入口へ戻り、退出した。この間、30分ほどだが警備の軍人と掃除人以外は誰も入場していなかった。
posted by とんび at 13:02| Comment(2) | ミャンマー

2017年04月08日

オンノカウスエ食べて、変わりものパゴダ2つへ

ヤンゴン旅行記4日目1回目

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 ヤンゴンの旅、動きまわれるのは3日間。この日はその3日目で、大晦日。朝食は、特別にミャンマー風の麺を頼んである。前日はモヒンガーだったが、この日はオンノカウスエ。

 オンノカウスエは、ココノナツミルクを大量に入れたスープで一見、トンコツラーメンのスープのように見える。味はとてもまろやかだが、香辛料がきいていて、甘い中に辛さがある。麺は小麦の細麺。ミャンマーの麺はほとんど米麺なので、小麦麺は少数派だ。具は何かの天ぷらのようなもの。


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 洋食のトースとと卵料理にかえてのオンノカウスエで、前日のモヒンガーの場合と同じ。

 モヒンガーとオンノカウスエがミャンマーを代表する麺だが、どちらがよいかと言われたら、自分の場合は、モヒンガーかな。


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 朝食後すぐに街歩きスタート。はじめにボージョー・アウンサンマーケットへ。前々日にきたときには、すでに店じまいしたあとだったので、改めて訪問した。

 衣類と雑貨の店がほとんどで宝石店もある。奥のほうの一角には食堂のエリアもあるが、生鮮食料品は扱っていない。


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 建物の中のほうの店。生鮮食料品がないためか、アジアの市場に特有の臭いがなく、床がぬれているということもない。でも刺激に欠けるのが難点だ。


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 マーケットを出て、鉄道の上を通る橋までやってきた。下には駅があって、中央駅の西となりの駅だ。

 ちょうど列車が停車していた。環状線の列車だろう。線路を歩いて乗り降りする人がたくさんいる。客車の多くは、隣の車両に行けないのだが、最後尾から見ると、そのこともわかる。


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   路線バスでシュエダゴンパゴダの前まで乗車。路線バスは系統番号がミャンマー数字で書いてあって、乗るにはハードルが高すぎるのだが、乗車地点からシュエダゴンパゴダまでは一直線なので、乗ってみた。

 ミニバスで何とか座ることができた。運賃は200チャット(約17円)。シュエダゴンパゴダまで1.5kmほどなのだが、渋滞があって20分くらいかかった。


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  シュエダゴン・パゴダの南門の向かいには、名前のよくわからないパゴダがあるのだが、その境内がにぎわっていた。移動式の遊園地になっていた。


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 仏塔に飾りをつけて、クリスマスツリーにしていた。仏教への信仰のあついミャンマーで、こういうことが許されているのが驚き。


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 このパゴダの塔だが、離れて眺めると、1階、2階、3階の屋根の下の黒い丸窓が人の目のように見えるのが面白い。


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   続いて、シュエダゴン・パゴダの南東にあるマハーウィザラ・パゴダへ。ちょっとした丘の上にあり、炎天下のため上がるのが大変だ。


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   このパゴダの中に入ってびっくり。礼拝堂の壁に樹木が描かれているのだ。森の中で礼拝しているような錯覚をおこす。


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 天井画は幻想的なものだ。外は暑いので、しばらく休憩。
posted by とんび at 08:44| Comment(4) | ミャンマー

2017年04月02日

間もなく帰国 & 帰国しました

JL408でフランクフルトから成田に向かっています。機内wifiを利用しています。まもなく帰国です。

ベルリン2日目は、東ドイツの秘密警察のシュタージの刑務所へ。見学ツアーの待ち時間と見学ツアーでかなり時間を要しましたが、印象深いところへ行けたと思います。そのあとは、シュタージの本部があったところがミュージアムになっていて、見にいきました。ここも見学に時間がかかり、この日はシュタージ関連2ヶ所に行っただけでした。時間切れで見られませんでしたが、しゅたーじの集めた個人資料の公開もしていました。東ドイツの消滅から27年ですが、シュタージの追求は今も続けられているのも驚きでした。疲れたこともあり、夕食はスーパーでいろいろ買って部屋でいただきました。こういうのもたまにはいいですね。

3日目は、ザクセンハウゼンの強制収容所に行きました。ナチス時代の強制収容所は、アウシュヴィッツをはじめとしていくつか訪問しているのですが、またいってきました。ここの特徴は、前身がナチス時代の最初の強制収容所だったこと、各地の強制収容所を統括する本部があったこと、第2次大戦後、ソ連が東ドイツを占領していた当時、ソ連による収容所があったことなどです。ここの見学にも時間を要しました。ベルリンに戻った後、壁があった当時に、西側との出入口であったフリードリヒシュトラッセ駅に残る、東から西に戻る人たちの検問所の建物へ行ってきました。中ではかつての検問所を再現しています。最後に東ドイツについてのミュージアムに行きました。たまたまですが、その近くにベルリンで最も古くからあるビアガーデンで夕食をとりました。

そして最終日は、西ベルリンにあった核シェルターを見学後、ホテルをチェックアウトし、空港に向かいました。フランクフルトへはルフトハンザを利用しました。そしてJALに乗り継いだわけです。


【帰国後の追加です】

成田に到着しました。伊丹への乗り継ぎ待ちをしているところです。3年ほど前は、成田での乗り継ぎの国内線の保安検査場で長く待たされるのが辛かったですが、今や、LCCが第3ターミナルにうつったことと、JAL便もある程度は羽田に移ったこととで、閑散とした保安検査場でした。このあと、伊丹へ向かい、帰宅します。

なるべく早く旅行記に取りかかりたいのですが、今、年末年始のヤンゴン旅行記を書いています。そのあと、2月の高雄旅行記、3月の台北旅行記を完成させてからベルリン旅行記に取りかかろうと思います。
posted by とんび at 07:08| Comment(8) | ドイツ