2014年06月29日

サラエボ

旧ユーゴスラビア旅行記7日目

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 モスタル発9時のサラエボ行きのバスに乗車。ところが、途中でバスが故障し、動かなくなった。

 1時間くらい待って、やってきたバスに別に運賃を払って乗車した。同じバス会社の後続のバスなら追加料金なしなのか、待つ人もいたが、サラエボはこの日1泊だけなので先を急いだ。
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 橋の真ん中が破壊された橋だが、応急修理されて通れるようになっていた。

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 この橋は一車線になっていていて、しかもゆっくりと通過しなければならず、渋滞もあって、この橋を渡るのにも少し時間を要した。

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 本来なら2時間ほどで着くはずが、4時間かかってサラエボのバスターミナルに到着。バスターミナルに隣接して、鉄道駅がある。

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 泊まるホテルに向かう前に、バスターミナルから近いエリアを回っておこうと、ツインタワーに向った。

 内戦時に標的となって、火災もおこり、ひどい状態になったツインタワー。サラエボにおける内戦のシンボルのような建物である。まだまだ修復は十分じゃなく、窓が板張りになっているところが多かった。それでも、入居している部屋もそこそこあった。 

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 ツインタワーの下部。窓が板張りんあったり、ビニール張りになっている箇所が目立つが、修復も進んでいることもみてとれる。

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 ツインタワーの下部だが、右上の画像の裏側の部分。窓ガラスが割れた状態のまま放置されていた。

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 ボスニア・ヘルツェゴビナ国会議事堂。内戦で標的となり、炎上したあとが残っままであるが、国会議事堂として使われていた。

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 路面電車でいったん市街中心部のホテルに行ったあと、再び街歩き。バシチャルシャに向った。

 旧市街の商業地区で、イスラム圏の雰囲気が漂っている。観光客もわずかだがやってきていた。
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 歴史を感じさせるモスクもあった。

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 国立図書館。1992年、セルビア人勢力がサラエボを包囲したとき、攻撃を受け炎上。多数の蔵書が焼失した。外観はかなり修復されているようだが、この時は閉鎖中。屋上を見ると工事中のようだ。2014年にようやく再開された。

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 サラエボをセルビア人勢力が包囲したとき、かなり市街地に近い、低い地点まで占拠していた地区が市街地の南部にあった。セルビア人勢力の支配下にあった地区に行ってみた。

 セルビア人勢力は訪問時にはサラエボ郊外からは撤退し、この地区もほかのサラエボの地区と何の変わりもなかった。
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 かつて「スナイパー通り」と称せられた通り。サラエボの南部の、訪問時には何の変哲もないただの大通りだった。

 しかし、1992年から約3年間のセルビア人勢力によるサラエボ包囲のとき、この通りは、セルビア人勢力が占拠する地区に近く、ビルから無差別射撃が行われ、動くものすべてが射撃されたという。
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 1984年、社会主義国としては初の冬季オリンピックがサラエボで開催された。そのフィギュアスケートと閉会式が行われた会場がここだ。

 ここも、窓ガラスがなくなりビニールで覆われている。内部では、少しだけ商店が営業していたが、客は少なく閑散としていた。
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 30分ほど歩いて、さらに開会式が開かれたスタジアムに向った。その途中で見かけた、オリンピックの会場案内板。

 オリンピックから14年、しかし内戦を考えると、オリンピックの痕跡が残っていることに感動した。旅行記を書いているのは、さらに16年後。どうなっているのだろうか。

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 開会式が開かれたスタジアム。スタンドは跡形もなくなっていたが、グランドで、ここが開会式会場の跡だということがわかった。

 1984年の冬季オリンピックはの開会式はテレビで見た覚えがある。細かいことは覚えていないが、周辺が雪に覆われていた。オリンピックの終了後、数年で内戦がおこるとは全く予想できなかった。誰しもがそうであっただろう。
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 スタジアムの屋根はなくなり、鉄骨だけが残されていたが、修復工事も行われていた。

 スタジアムの周りは、内戦で亡くなった人々の墓地になっていた。訪問時はとても撮影する気にならず、写真はとっていないのだが、記録のために撮影しておくべきだったと悔やまれる。
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 泊まったのはホテル・ボスニア。そのすぐ近くの建物もよく見ると、銃弾の跡が残っていた。戦闘が行われた、その3,4年後に自分が同じ場所にいるというのが不思議であった。

 夜は、当時、おこなっていたnifty-serveで知り合った方でサラエボに滞在されていた方とお会いして、食事を一緒にしていただいた。
posted by とんび at 22:07| Comment(2) | 旧ユーゴスラビア

モスタル

1998年旧ユーゴスラビア旅行記6日目

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 着いた日に8時発のモスタル行きのバスを予約しておいた。サラエボ行きのバスで途中下車するようだ。午前中のモスタルに行くバスはこのバスだけだ。

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 モスタルは街の真ん中を流れるネレトバ川によって、西側のクロアチア人地区と東側のムスリム人地区に分かれている。ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦のさいには、両者の戦闘が繰り広げられた街だ。

 バスターミナルはムスリム人地区にあり、内戦で破壊されたが、訪問したときには新しいビルが再建されていた。モスタルには11時半ごろ到着。

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 バスターミナルから数分。ネレトバ川を渡ってクロアチア人地区に入ったところにあるホテル・エロ。旅行当時、唯一の予約可能なホテルであった。当時はモスタルにはPKOが駐留していて、PKOの関係者が利用するために、予約が入りづらいとのことだったが、予約できた。

 
 12時だったが、チェックインできて、部屋で1時間ほど休憩したのちに街歩きに出かけた。

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 まずホテルのあるクロアチア人地区を見て歩いた。破壊され、窓のない建物があちこちにある。

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 窓ガラスのない建物はあたり一面にある。右側には、窓ガラスをはめこみ、カフェを営業している建物があるが、修復できているのは半分くらいの建物だ。

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 PKOの兵士も何度も見かけた。また白地にUNと書かれた国連関係の車も数分おきに通っている。

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 ネレトバ川をはさんで、左(西側)がクロアチア人地区、右(東側)がムスリム人地区。木の橋が架かっているが、これは仮の橋。もともとは木の橋のすぐ後ろの砦のような建物からスタリ・モスト(「古い橋」の意味)が架かっていた。15世紀に建造されたアーチ橋で、川に飛び込む大会が開かれていたことでも有名であった。しかし1993年にクロアチア人側の攻撃で破壊され、停戦後、木の橋が架けられた。

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 木の橋を渡り、ムスリム人側に入った。

 右側に工事をしている様子が写っているが、スタリ・モストの再建工事だ。その後、2004年に石橋が再建され、翌年には世界遺産になっている。

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 橋の近くは少しだけだが土産物屋が店を出していて、観光客もわずかであるが見かけた。

 
 ムスリム人の地区は少し歩いたが、クロアチア人側のエリアと同じく、復興はさほど進んでいなかった。

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 再び、クロアチア人側のエリアに戻り、街の少し郊外を歩いた。

 壁いっぱいに銃弾のあとが残っている建物にびっくり。

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 破壊された建物の中を街歩き。車はそこそこ通るが、歩く人はいない。暑いからだ。モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナでも特に暑く、40度近い中を歩いた。歩く人がいないから、破壊された建物のあたりでは不気味な感じがする。

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 かつてバスターミナルだった建物だと思う。

 ホテルに戻り、涼んだ後、夕食をとりに出かけた。
posted by とんび at 08:24| Comment(2) | 旧ユーゴスラビア

2014年06月28日

ドゥブロブニク2日目

1998年旧ユーゴスラビア旅行記5日目

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 この日は1日、ドゥブロブニクの観光だ。最初、前日も見て回った旧市街に行き、セルビア正教会をめざした。

 ドゥブロブニクはじめクロアチアでは内戦で、クロアチア人とセルビア人が争い、悲惨な出来事も起こっている。ドゥブロブニクはクロアチア人のエリアなので、セルビア正教会がきちんと維持されているのか心配があった。

 路地裏を歩いていて、突然、教会があらわれてびっくり。狭い道路の街中にあって、教会全体を撮影するのは難しかった。

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 心配する必要はなかった。クロアチア人と内戦を戦ったセルビア人の教会であるが、きちんと管理がなされていた。カトリックに比べて、簡素な内装であるが、壁画など手が込んでいる感じだ。

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 次に、城壁を一周してみた。城壁の上部は歩けるようになっているのだ。

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 城壁上から城壁のほかの部分を眺めた画像。右下部が城壁内、左上部が城壁の外である。

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 城壁上から、このあと訪問するロクルム島を眺める。街はオレンジ色の屋根で覆いつくされている。

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 城壁の中でも海岸に近い部分には、艦砲射撃で被害を受け、屋根が破壊された民家が数多く残っていた。すでに1991年から92年にかけての攻撃から6,7年たっているというのにじゅうぶん復興しているとはいいがたい状態があった。

 この旅行の3年半前、1995年1月に阪神大震災がおこったのだが、家々の破壊された姿は阪神大震災のときの様子に重なった。

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 なかには完全に破壊されたのであろう民家もあった。

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 城壁を一周したあと、内戦前に運行していたロープウェイの乗場に行ってみた。かつてのロープウェイ乗場の看板が昔のまま残されていた。ここではロープウェイもケーブルというようだ。

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 丘を少し上ってみた。ケーブルの上の駅が見えたが、丘の中腹まで上がって引き返した。

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 かつてドゥブロブニクでは路面電車が運行されていたようで、車両が保存されていた。

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 午後はロクルム島に向った。

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 島へは15分ほど。この島にはヌーディストビーチがあるらしい。到着後、島の中を見て回った。島の一画は確かにヌーディストビーチであった。みなさんスッポンポンで海水浴をしたり、歩いたりしているのだ。それが、あまりに自然な感じでいやらしさを感じないのが不思議であった。

 島は自然が残されていて、帰りの船の時間にあわせて島内散歩。

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 島を一周したあとは、ドゥブロブニクに戻った。ドゥブロブニクの港に到着する直前。

 本当はドゥブロブニクからモンテネグロ領のコトルにも行ってみたかったが、当時はモンテネグロとの国境が閉鎖されていたため果たせなかった。
 旧市街で食事をしてから、民宿に戻った。
posted by とんび at 22:03| Comment(2) | 旧ユーゴスラビア

2014年06月27日

スプリットを経てドゥブロブニク

1998年旧ユーゴスラビア旅行記4日目

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 早朝5時すぎにスプリット着。港町である。途中、クロアチアの有名観光地であるプリトッヴィツェ湖の近くも通過したのだが、当時は、湖の周辺には内戦時に埋められた地雷が除去されておらず、湖はコースに入れることができなかった。

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 ディオクレティアヌス宮殿。3世紀末にディオクレティアヌス帝によって建造された史跡である。しかし、建物の一部は、民家や土産物屋などの商店に利用されていた。中庭には仮設ステージがつくられ、椅子が並べられていた。

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 早朝のスプリット旧市街を街歩き。古い建物が住居や商店となっていて、保存の観点からは、あまりよくないのではと考えながら歩いた。

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 スプリットのバスターミナル。8時30分発のドゥブロブニク行きに乗車。

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 ダルマチア式海岸が見えた。ダルマチア式海岸は、海岸線に平行な細長い島に特徴がある。

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 道路状態はよくなく、4時間半、バスに揺られ、13時にドゥブロブニクのバスターミナルに到着。

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 ドゥブロブニクのホテルは内戦で破壊された後、まだ復旧していないところが多く、バスターミナルに着いたら、民宿の客引きを利用しようと考えていた。思っていた通り、バスを下りると客引きが数人集まってきた。そのうちの一人のおばさんに連れられ、丘の中腹にある民宿に行った。ここに泊まることにした。

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 ドゥブロブニク旧市街の入口。

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 入口を入ったところに、ユーゴスラビア連邦軍の攻撃による被害についての看板があった。

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 タイトルは「1991年から1992年の、セルビアとモンテネグロからなるユーゴスラビアの軍によるドゥブロブニクへの侵略による損害」で、攻撃を受けて被害が出たところを地図に示している。

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 旧市街の大通り。 この建物の裏側は港であった。 壊れたままの住宅はあちこちにあった。

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 窓に木を打ち付けてある建物もあちこちにある。

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 港めぐりの船に乗船。1時間ほどの航海。

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 ユーゴスラビア軍の攻撃で窓が壊されたままのホテル。

 旧市街で食事をとり、民宿に戻った。
posted by とんび at 23:53| Comment(6) | 旧ユーゴスラビア

2014年06月26日

ザグレブ

1998年旧ユーゴスラビア旅行記3日目

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 リュブリャーナ発7時30分のザグレブ行のバスに乗車。少し早いが、1日に3本しかバスがなく、早朝のバスを選び、前日に切符を買っておいた。10時にザグレブ着。

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 バスターミナルからザグレブ中央駅まで路面電車で移動。

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 さらに路面電車で街の中心へ。

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 市場を見たあと、ケーフルで丘の上に向った。

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 丘の上にある「石の門」へ。18世紀、門近くで大火があったが、聖母子のイコンだけが焼け残った。門は作りかえられたが、聖母子のイコンを礼拝堂を作って祀った。門の中の通路に面して礼拝堂がある。

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 丘の上から眺めたザグレブ市街地。

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 バスターミナルとその前にある路面電車の停留所。ザグレブ発22時の夜行バスででスプリットに向った。

posted by とんび at 22:40| Comment(0) | 旧ユーゴスラビア

2014年06月24日

ポストイナ鍾乳洞とブレッド湖

1998年旧ユーゴスラビア旅行記2日目

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 スロベニア2日目は、リュブリャーナから日帰りでポストイナ鍾乳洞とブレッド湖に行った。

 午前は、バスでポストイナへ。1時間半ほど。ポストイナのバスターミナルから歩いて鍾乳洞まで行った。画像はポストイナの街。

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 鍾乳洞の入口。右手の建物でチケットを買って、洞窟の中へ。

 石灰岩が溶けてできるカルスト地形の語源になったのは、スロベニアのカルスト地方で、数多くの鍾乳洞がある。その中でも最も有名なものがポストイナ鍾乳洞である。

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 洞窟の中はまずトロッコ列車で観光する。チケットにその写真が使われている。

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 トロッコで移動した後は、徒歩での観光。天井から鍾乳石がぶら下がっている。鍾乳石が1mmのびるには20年くらいかかると言われる。巨大な鍾乳石ができるには途方もない年数がかかっている。

 巨大洞窟の中はとても涼しかった。夏であることを忘れて気持ちよかった。1時間ほど歩いたあと、再びトロッコで入口に戻った。

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 ポストイナからいったんリュブリャーナに戻ったあと、別のバスで1時間強かえてブレッド湖へ。

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 まずは、湖岸の丘の上にある城に向った。 城から、湖岸の街を眺める。

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 城からは、湖に浮かぶ小島も見え、教会があることもわかる。

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 湖岸の船のりばにて。ここから小島に向う。

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 小島に到着。

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 小島にある教会を見て、再び船で湖岸に戻った。このあとバスでリュブリャーナへ。1日でポストイナ鍾乳洞とブレッド湖の両方を回るのはかなり時間を要するので、強行軍だ。

posted by とんび at 23:13| Comment(7) | 旧ユーゴスラビア

2014年06月23日

リュブリャーナ

1998年旧ユーゴスラビア旅行記1日目

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 ウィーン南駅発7時58分のECに乗車し、14時15分にリュブリャーナ着。 

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 リュブリャーナ着後、まずはバスターミナルで翌日利用するバスの時刻を確認。そして、ホテルへ行き、荷物を置いた後、街歩きに出かけた。

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 三本橋。同じところに3本の橋が並んでいるだけなのであるが、リュブリャーナの名所になっている。

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 博物館に行ったがしまっていて、そのあと丘の上にあるリュブリャーナ城に行った。

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 リュブリャーナ城からの眺め。リュブリャーナはスロベニアの首都ではあるが、大きな街ではなく、こじんまりとしていた。

posted by とんび at 23:11| Comment(4) | 旧ユーゴスラビア

2014年06月22日

手配完了

18日の記事で書いた、旅立ち宣言ですが、本日は大きな動きがありました。18日の時点では、1つめのソウル行きと2つ目のグアム行きの航空券とホテルを確保していましたが、きょうはまたいろいろ手配しました。

まず、2つ目のグアム旅行ですが、本日、米国のESTAをとりました。グアムは米国領ですが、特別地域扱いでESTAがなくても入国できるのですが、いつでも米国に行けるようにしておきたいのと、代わりに書く書類(ESTA以前に書かされていた青い紙と同じようなものです)が面倒臭く思い、ESTAをネットでとりました。

航空券はすでに特典航空券で確保していましたが、デルタのいい点に気付きました。サーチャージが不要だったのです。これはデルタ以外に、同じ米系のユナイテッド、アメリカンも同様です。相次ぐ改悪などから、米系3社のマイレージはもうやめようかと一時は思っていましたが、片道でとれるということと合わせ、うまく使っていこうかとか、スタアラ系はANA以外はユナイテッドに、ワンワールド系はJAL以外はアメリカンに加算しようかとか考えています。

次に3つ目の台湾・澎湖島旅行ですが、今もって手配中のホテルからの連絡がありません。しかも、ネット上の予約会社(Booking.com とかAgodaなど)では、先に手配した時点ですでにとれなくなっていました。予約会社でとれなかったので、直接に手配したのですが、先行きは暗そうです。さらに加えて、日本・台湾の便、および台湾本土・澎湖島の便ともそろそろ満席の便がでてきています。それで、澎湖島をあきらめるわけではないですが、難しいかなと思い、ピーチで高雄往復の航空券と台南のホテルを予約しました。とりあえず、高雄出入国で台南旅行に変更です。

台南は2006年旧正月に行って以来8年半ぶりになります。前回は台南の屋台料理をいろいろ試しましたが、久しぶりにまた行ってみることにします。ただ、台南で3泊なので、間の2日のうち1日は台南ですごすとして、もう1日は近隣のどこかの街へ遠征しようと思います。今後、澎湖島のホテルがとれて、かつ、その時点で高雄・澎湖島間の航空便がとれれば、澎湖島に行くつもりですが、無理な場合は台南などってことにします。台南を抑えたのですが、もし澎湖島に変更可能な場合は変更しようと思います。
posted by とんび at 16:24| Comment(4) | 近況

1998年の旧ユーゴスラビア旅行

1998年、もう16年前になりますが、旧ユーゴスラビアのスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ユーゴスラビア(注:これは「新ユーゴスラビア」と当時言われた現在のセルビアとモンテネグロの連邦であり、またセルビアには現在のコソボを含んでいた)、マケドニアの5か国を訪問しました。


**********歴史的な説明(下の*********まで)

旧ユーゴスラビアは東欧の社会主義国のひとつで、チトーによって強力な統治が行われていました。ただ、ほかの東欧諸国(ポーランドとかチェコスロバキアなど)が旧ソ連と密接な関係があったのに対して、旧ユーゴスラビアは旧ソ連とは一線を画する独自路線をとり、反共産党的な主張もある程度認めていたのが特徴的でした。1980年にチトーが死去すると、旧ユーゴスラビアを構成していた各共和国(とくにセルビアやクロアチア)では、チトー存命中には抑えられていた民族主義が高まっていった。1989年、東欧諸国では相次いで共産党の統治が終了し、社会主義の時代が終わるのだが、同時期に旧ユーゴスラビアでも、共産党の一党体制が終わり、自由選挙が行われた。選挙によって、セルビアのミロシェビッチやクロアチアのツジマンなどの民族主義者が各共和国の指導者となり、各共和国は独立志向を強めた(セルビアは旧ユーゴスラビアの中心的な共和国として、他の共和国の独立を阻止する側であった)。

1991年になると、各共和国が連邦からの独立を実行していった。スロベニアは1991年に短い戦争で独立した。クロアチアは1991年から95年までの戦争を経て独立した。 またボスニア・ヘルツェゴビナも1992年から95年までの戦争を経て独立するが、国内にセルビア人、クロアチア人、ムスリム人(注:旧ユーゴスラビアではイスラム教徒をムスリム人としていた)の3勢力があって、旧ユーゴ紛争の中でも最も深刻な内戦が続いた。さらに1996年、セルビアからコソボが独立する戦争がおこり1999年まで続いた。その後、コソボは2008年に独立するが、国際的に完全に認められた状態にはなっていない。マケドニアは1991年に内戦なしに独立したが、2001年にコソボ紛争の余波で戦闘があった。2006年には、セルビアとモンテネグロだけで続いたいたユーゴスラビア(2003年までは新ユーゴスラビア、2003年にセルビア・モンテネグロに改称)から、モンテネグロが独立し、ユーゴスラビアは完全に消滅した。

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自分が旧ユーゴスラビアを旅行した1998年は、内戦のなかでも激しかったボスニア・ヘルツェゴビア紛争とクロアチア紛争が終わった1995年から、3年後で、まだ内戦の跡があちこちに残っていました。また、コソボは紛争中で近づきませんでした。

旅行から16年がたち、スロベニアやクロアチアは今や観光国として有名になってきた。また、ボスニア・ヘルツェゴビナでも、モスタルの石の橋やサラエボの図書館が再建されるなど、明るい話題が多いです。今回、ネット上でおつきあいしていただいている方が、旧ユーゴスラビアへの旅行をされるので、この機会に、まだ旅行記をつくっていない、旧ユーゴスラビア旅行記をつくることにしました。自分は、今まで行った海外旅行のほとんどすべての旅行記を作って公開していますが(なかには申し訳程度のごく簡単なものもあります)、4つだけ作れていません。時間がなくてできていないのが2つ。ひったくりにあって思いだしたくないため(カメラもとられたこともあります)が1つ。そして、旧ユーゴスラビア旅行は、内戦のあとなどを思い出したくないという思いがあって、同時に旅行したオーストリア、チェコ、ハンガリーは作りましたが、旧ユーゴスラビアだけは旅行記をつくる気にならず、作りませんでした。でも、一部の国は観光国になって大きく変わってきて、昔はこのようなことがあったということを、広く知ってもらうのがいいという思いに変わってきました。そして、上に書いたように、おつきあいしていただいてる方が旅行されると知り、旅行記に挑戦することにしました。

1998年当時はまだフィルムカメラを使っていたので、写真を一枚一枚スキャンしていく手間がかかるので、あまり多くの写真は使えないかもしれません。また、旅の詳しいことは忘れてしまっていることも多いので、写真の簡単な説明をつけるのが精一杯かなとも思いますが、やってみようと思います。

このときの旅行は、オーストリアのウィーンをゲートウェイとし、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、新ユーゴスラビア(現在のセルビア)、マケドニア、ハンガリー、チェコを回り、ウィーンから帰国しました。簡単な日程は、下記の通りです。(旧ユーゴスラビアの部分だけ書きます。また、何日目というのは旧ユーゴスラビア内での日数です。)

1日目 午前、ウィーンからECでリュブリャーナへ。午後、リュブリャーナ街歩き。リュブリャーナ泊。
2日目 午前、ポストイナ鍾乳洞へ。午後、ブレッド湖へ。リュブリャーナ泊。
3日目 リュブリャーナからバスでザグレブへ。午後、ザグレブ街歩き。夜行バスで車中泊。
4日目 朝、スプリット着。街歩きのあと、バスでドゥブロブニクへ。午後、ドゥブロブニク街歩き。ドゥブロブニク泊。
5日目 午前、ドウブロブニク街歩き。午後、ロクルム島へ。ドゥブロブニク泊。
6日目 ドゥブロブニクからバスでモスタルへ。午後、モスタル街歩き。モスタル泊。
7日目 モスタルからバスでサラエボへ。午後、サラエボ街歩き。サラエボ泊。
8日目 サラエボからバスでベオグラードへ。夜行バスで車中泊。
9日目 朝、スコピエ着。街歩きのあと、バスでオフリドへ。オフリド泊。
10日目 午前、バスでビトラへ。午後、オフリドからバスでスコピエへ。夜行バスで車中泊。
11日目 朝、ベオグラード着。ベオグラード街歩き。夜行列車で車中泊。翌朝、ブダペスト着。
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2014年06月18日

旅立ち宣言3連発

1発目
まずソウルに行ってきます。現在、海外発券はソウル発券の「ソウル/大阪/東京/バンコク」のJALビジネスクラス往復だけやっています。1月にソウル発で使い始め、5月上旬に「大阪/東京/バンコク」往復を使い、今は大阪でストップオーバー中です。今度、残りの「大阪/ソウル」を使い、翌日、同じ券種の航空券を使い始めて帰国します。そのあとは再度、ストップオーバーになります。今回は、ループ継続のためって感じで1泊だけです。特にどこに行くかとかは考えていません。そのとき次第です。

2発目
渡航先としてはごく一般的でありながらまだ行ったことがないグアムに行ってきます。デルタのマイルがそこそこたまっているのですが、少し消費するために、使うことにしました。デルタのマイルは昨年だったか改悪されて、必要マイル数がかなり増えたのですが、グアムはビジネスクラスで25000マイルとお得な感じがします。2泊3日の予定で、間の1日をどうするか、今検討しているところです。何もしないこともあり得ます。グアムはESTAがなくてもいいのですが、現在、失効しているので、いつでも米国に行けるようにESTAをとりなおしておこうかなと思っています。

3発目
実はまだ未確定なのです。今は、台湾の澎湖島へ行こうかと思って、馬公のホテルを手配中なのですが、まだ返事がきていません。3泊4日の予定をしているので、澎湖島は3泊でないと行きにくく、この機会に行こうとしているわけです。ただ、馬公のホテルがとれない場合もあるので、その場合は、東部を中心にした旅にしようかと思っています。特に、花蓮から台東はまだ通過したこともないので、このエリアに重点をおきたいと思っています。しかし、4日もとれるなら、タイへ行ってみたい気もしますので、ひょっとしたら、再びタイに行くかもしれません。そんなわけで、まだ航空券の手配はまだしていません。
posted by とんび at 21:23| Comment(4) | 近況