2020年08月03日

返金終了

8月3日・・・次回の支払い分を差し引き、クレジットカード口座に返金されました。

これで、5か月半のカタール航空とのチケット購入、返金をめぐる動きに決着がつきました。

※この部分は、後日、7月31日の記事に追加しておきます。その際、この記事は削除します。
また。この記事へのコメントは受け付けない設定にしてあります。
posted by とんび at 20:04 | 航空

2020年07月31日

カタール航空から返金

カタール航空から航空券代金が返金されました。長くかかりましたが、返金されてヤレヤレです。

2月からカタール航空で航空券を衝動買いしたということと、その後、行けなくなり、返金を申し出たことはすでに、ここで記事にしていますが、ご覧になっていない方もあると思うので、今までの経過をまとめておきます。

2月8日・・・インドより帰国した報告の記事を書きました。(帰国日はその少し前) なお、この後現在に至るまで海外旅行はしていません。

2月12日・・・カタール航空が関西空港に再就航するとのことで、記念セールをやっていました。それを見て、思わず、6月旅行用に関西・ドーハ・ローマの往復航空券を購入しました。

2月14日・・・イタリア旅行はもともと4月に行くつもりでANAのミュンヘン往復の特典航空券をとっていました。しかし、カタール航空で6月に行くことになったので、4月は南ドイツ・オーストリアに変更しました。

このころは、今回のウイルス騒ぎは中国を中心にするもので、ヨーロッパに飛び火するとは思っていませんでした。

ところが、2月末になってイタリアで急速に感染が広まり、さらに3月に入るとドイツでも感染が広まりました。しかも、日本と比べものにならない死者数でびっくりしました。

3月5日・・・4月のドイツ・オーストリア旅行を中止することにしました。

3月10日・・・4月には、ヨーロッパ内で他の国に行くことも検討しましたが、国内に変更することにしました。

3月28日・・・4月には、かわりに沖縄旅行を予約していましたが、知事より自粛要請があり、とりやめました。

4月に入ると、6月のイタリア旅行も無理だと判断しました。また、もともと6月はJALの提携会社特典でBAを利用して英国へいくつもりでしたが、そちらも無理だと判断しました。フライト自体も、カタール航空、BAともに欠航になっていることを確認しました。また、カタール航空のHPで払戻し手続きを見ると、自己都合によるキャンセルの場合は、自社クーポンでの返金になっていました。しかし、欠航の場合はどうなのかの記述はなかったので、会社のほうからメールで連絡してくるのを待ちました。

4月16日・・・6月のカタール航空とJAL特典の払戻しのための電話をかけました。この3日前に、カタール航空からメールが届いていました。メールで欠航になった旨と、払い戻し手続きは、自社クーポンだとHP上で手続きでき、1割増のクーポンが発行されるとのことでしたが、いくら1割増でも利用できるかどうかわからないので、現金での返金を求めることにしました。現金で返金を求める場合は、日本支社に電話しなければならなかったのですが、メールが届いた日は電話がつながりにくく、翌日、営業開始とともに電話して、現金での払い戻しを求めました。同じ日にJAL特典の払い戻しも電話で求めました。

JAL特典のほうは、すぐにマイルが払い戻され、現金も数日後にクレジットカード口座に戻っていたのですが、2万程度なので、次回のクレジット利用代金支払い分から差し引いてもらいました。この処理だと、特にクレジットカード会社に連絡する必要はありません。黙っていても、自動的に処理されます。

カタール航空の方はなかなか返金されませんでしたが、電話で時間がかかるといわれたことと、返金するというメールが電話の翌日にきていたので、気長に待っていました。

7月18日・・・カタール航空より28日以内に返金するとメールがきました。

7月22日・・・クレジットカード口座に返金されました。28日以内ということで、きっと28日ぎりぎりに返すんだろうって思っていました。きっと8月中旬だと思っていたので、クレジットカードの口座も調べませんでした。

7月30日・・・クレジットカードの口座を調べたところ、22日にすでにカタール航空から返金されてました。28日以内のぎりぎりに返金されると思っていたので、意外と早かったです。そのために、1週間ほど、調べもしなかったのが、小さなミスでした。

デフォルトでは、次回のクレジットカード代金支払いの際に利用代金が相殺され、次回の支払いはゼロになるようでした。さらに、次々回とその次の回ももゼロになる見込みでした。今回は、そこそこ額が大きく、デフォルトのやりかたでは、返金された気分にはならないので、返金分を銀行口座に戻してもらようクレジットカード会社に連絡しました。その結果、次回の支払いはゼロ、クレジットカード会社に「預かり金」の形でのこる分を3,4営業日後に返金するということになりました。

購入してから約5か月半、払戻を求める電話をかけてから約3か月半ととても時間がかかりましたが、支払い分が全額戻ることになって、ようやく一段落でした。今回の騒ぎの中で、破綻した海外の航空会社もあるし、LCCの中には、欠航であっても払い戻しをクーポンだけでしか行わない会社もあることもわかりましたし、よかったと思いました。

この返金をめぐる動きを通じて、こういった異常事態の際して、払戻しをする際には日系航空会社が一番安心できると実感しました。以前から、欠航とか遅延のさいの対応を、ほかの方の旅行記などを見て思っていたことですが、JALとANAの特典航空券とカタール航空の有償の航空券の払い戻しを自分自身が体験して、強く思いました。

また、海外の航空会社ではLCCではなく、FSCの場合であっても自己都合による返金はクーポンの場合がある(今回は、欠航になったので、現金での返金の道も設けられていましたが)ことを知りました。購入する前に、よく調べておく必要があると思いました。今回の場合も、欠航になったからクーポンか現金か選べたのですが、欠航にならず自己都合で払い戻す場合ならクーポンだったことを購入後に知ったので、そう思いました。また、LCCの中には、欠航であっても、返金がクーポンだという会社もあることも知り、注意が必要だと思いました。
posted by とんび at 13:22 | Comment(2) | 航空

2020年07月29日

時刻表完全復刻版1988年3月号発刊

予約していた「時刻表完全復刻版1988年3月号」が発刊され、発売日である本日到着しました。


時刻表復刻版198803.jpg


「時刻表復刻版」は、数冊がセットになったものがかなり前から発刊されていました。「戦前・戦中編」「戦後直後編」「戦後編」「戦後編2」「戦後編3」が発刊されるごとに購入して、楽しんでいました。3セット出た「戦後編」には合わせて十数冊が含まれているのですが、一番、現在に近いものは1972年3月号でした。これは山陽新幹線の開業の時のものです。当然、全部が国鉄時代のもので、自分が鉄道趣味に引き込まれていた1970年代の後半から1980年代の前半よりも前のものばかりでした。

昨年、「時刻表完全復刻版」という名で1冊ものの復刻版が発刊されたのですが、買いませんでした。それは、1964年9月号と1964年10月号、つまり東海道新幹線の開業直前のものと、東海道新幹線開業時のものなのですが、2冊とも、すでにセットで購入していた時刻表復刻版の中に含まれていたからです。今回、「時刻表完全復刻版」として3冊目の発刊されたのは1988年3月号で津軽海峡線と瀬戸大橋線が同時に開業したときのものです。日本の鉄道の歴史を考えた場合、重要な出来事であったときの号なのですが、自分の持っている古い時刻表を探すと、この号はもっていませんでした。

すでに書いた通り、1982年に日本の鉄道を国鉄、私鉄ともに全線を乗車し、ひとつの目標を達成した自分は急速に鉄道への関心を低下させていました。まったく関心をなくしたわけではなく、1988年の春だったか夏だったか忘れたのですが瀬戸大橋線は乗車しましたし、1988年末には津軽海峡線も乗車しています。でも、1983年以前と比べると、かなり関心が低くなっていました。当時は、社会人になって間もないころで、「仕事が趣味」みたいな面もありました。今にして思えば、良くもあり、悪くもあったと思うのですが、趣味にかける時間があまりありませんでした。加えて、同僚のすすめもあって、このころは冬場はスキーが新たな趣味になってきていました。すでにこのころは道具をそろえたりしてましたし、旅費も必要で、資金を鉄道趣味にあまり回せませんでした。そのためか、1988年3月号の時刻表は買わなかったのだと思います。

国鉄が民営化されJRがスタートしたのは1987年4月でしたから、その1年後でした。そして、1982年に日本の鉄道の全線を乗車してから5年たっていて、この間にかなりの路線が廃止されました。同時期に津軽海峡線、瀬戸大橋線が開業していたのです。鉄道については、青函トンネルと瀬戸大橋が同時だったということは、今はあまり知られていないかもしれません。このころよく使われた言葉が「一本列島」でした。そういう重要な時期でした。そんなわけで、1988年3月号が復刻されるということを知ってすぐに買うことを決めました。そしてすぐに予約しました。時刻表の復刻版としては、最も現在に近い年のもので、復刻版としては唯一のJRになってからのものです。

次に、1988年3月改正の時刻表と現在の時刻表でダイヤの違いを比べてみることにします。

まずは、青函トンネルですが、旅客は現在(北海道新幹線開業後)は新幹線だけの運行になっています。1988年3月当時は、海峡線の旅客列車として、定期列車だけに限れば、夜行寝台特急「北斗星」2往復(上野〜札幌)、夜行寝台特急「日本海」1往復(大阪〜函館)、特急「はつかり」2往復(盛岡〜函館)、夜行座席急行「はまなす」1往復(青森〜札幌)、快速「海峡」8往復(青森〜函館)がありました。昼間の列車としては快速「海峡」がメインになっていました。自分の場合は、1988年末に快速「海峡」と夜行座席急行「はまなす」に乗りました。急行「はまなす」は、JRで残った最後の定期列車の急行でした。その後、東北新幹線が八戸まで開業した後は、青函トンネルを通る旅客列車は特急「白鳥」「スーパー白鳥」だけになりました。その時期に、特急「白鳥」にも乗車しました。

次に、瀬戸大橋ですが、旅客は当時も現在も、特急「しおかぜ」(岡山〜松山)、特急「南風」(岡山〜高知)、快速「マリンライナー」(岡山〜高松)というのは変わっていないのですが、本数は2倍以上に増えています。また今は予讃線の電化で「しおかぜ」は電車になっています。また特急「うずしお」(岡山〜徳島)がわずかにありますが、瀬戸大橋開通時は単独の列車でしたが、現在では岡山〜宇多津は「南風」と併結になっています。自分の場合は、快速「マリンライナー」に何度か乗車しました。

そのほかの気づく点として、巻頭の地図を見ると、北海道を中心に今はなき廃止された路線が掲載されていることが最も大きなことでしょうか。距離の長いものだけをあげると、天北線、深名線、名寄本線、池北線、標津線など100qをこえる長大路線がまだ残っています。池北線はまだ第3セクターになっていませんでした。本州、九州では現在ある第3セクターがすでに大部分できていることもみてとれますし、北海道ではJRになってから廃止がすすんだということがわかります。
posted by とんび at 21:00 | Comment(2) | 鉄道

2020年07月28日

野岩鉄道は乗車してました

野岩.jpg

野岩鉄道は乗車していました。

まったく記憶のかなたになっていたのですが、別のサイトで、東武のスペーシアの記述を見て、最新型の特急スペーシア(これは列車名じゃなく車両名)は乗っていないけど、まだ特急が旧型で国鉄特急に似ていた時代に、快速だったかと思いますが、料金不要の最速の列車で、同じ運転区間を乗ったことを思いだしました。しかも、そのさい、野岩鉄道に乗ってきて、新藤原で東武に乗り換えたことまで思い出しました。

古い切符を保存している箱を調べてみると、証拠がありました。野岩鉄道の車内補充券です。会津高原(現・会津高原尾瀬口)から新藤原乗り継ぎ浅草までのものです。おそらく会津鉄道で会津高原までやってきて、そのまま野岩鉄道に乗り換えたのだと思います。

今までの記事で野岩鉄道は未乗としてきましたが、乗っていました。野岩鉄道は何回か未乗として記録をアップしてきましたが、乗車済に訂正します。関東の中では乗りにくい区間なので、ちょっとホッとしました。
posted by とんび at 14:16 | Comment(0) | 鉄道

2020年07月25日

第3セクターのネーミング分析

「第3セクター鉄道」40社の会社名のネーミングを分析してみました。

40社のうち、赤字線、建設線、並行在来線を国鉄またはJRから引き受けるために会社が作られたのが39社あります。

1社だけ、引き受け時に既存であった「第3セクター」が新たに路線を引き受けました。鹿島臨海鉄道です。

この会社は今でこそ、鹿島サッカースタジアム(旧名:北鹿島)〜水戸の建設線を引き受けて旅客営業していますが、もとをただせば鹿島港の貨物輸送を行うために、1969年に国鉄、茨城県、関係企業によってつくられた「第3セクター」です。

一時は、北鹿島〜鹿島港南で旅客営業を行っていて、こちらも乗車しましたが、1983年に旅客営業を廃止しました。貨物は本業なので、貨物営業はもちろん続けられ現在に至っています。そして1985年から現在旅客営業している鉄建公団の建設線区間の運行営業をはじめました。最初はこの区間でも貨物営業もしていましたが、現在では旅客営業だけになっています。なお、国鉄民営化後は、国鉄の出資分はJR貨物に移りましたが「第3セクター」であることには変わりありませんので、JR貨物が筆頭で出資している旅客営業路線というのも面白いです。

残り39社は、国鉄またはJRから路線を引き受けるために、地元の地方公共団体を中心にして「第3セクター」が作られました。これらを会社名からいくつかのグループにわけてみます。


(1)旧国鉄線名または鉄建公団の建設線名をそのまま使っている場合。〇〇線→〇〇鉄道 という場合などです。・・・12社

会津、真岡、樽見、伊勢、北条、若桜、甘木、松浦・・・旧国鉄線名のままのものが8社あります。わかりやすいですが、ちょっと平凡な感じもします。

野岩、井原・・・鉄建公団の建設線名のままのものが2社あります。旧国鉄線名に比べて、地元住民以外には知ってもらいにくいのではと思います。たまたまですが、この2つは読みにくいですね。「やがん」「いばら」。

北越急行、智頭急行・・・鉄建公団の建設線名に急行をつけたものが2社あります。どちらもJR特急を走らせる目的でつくられた高規格路線です。ただし「北越急行」は北陸新幹線開業でJR特急が走らないローカル線になってしまいましたが。

「北越急行」は、建設線名は「北越北線」。これを北越急行としたようですが、(1)に入れました。線名は「ほくほく線」で、これは「北越北線」の2つの「北」が由来ですが、温かみがあり、柔らかい感じを表す「ほくほく」にかけているのでしょう。この線は、かつては越後湯沢〜金沢のJR特急「かがやき」が通過していましたが、北陸新幹線開通後は、特急の走らないローカル線になりました。ローカル線とはいえ、大部分の赤字ローカル線とは違って、JR特急を走らせる目的があったので、並行在来線と同じく高規格路線であるのが特徴です。なお「北越南線」も計画ではあったけれども、建設線にもなりませんでした。

「智頭急行」は、建設線名は「智頭線」。非電化ながら高規格路線としてつきられ、京都、新大阪と鳥取を結ぶ「スーパーはくと」、岡山と鳥取を結ぶ「スーパーいなば」の2系統のJR特急が走っています。JRの準幹線ではよくある特急のほうが普通よりも多いという路線と同じで、特急が多く走っているのが特徴です。京都〜鳥取は山陰本線、岡山〜鳥取は津山線・因美線が本来のメインルートでしたが、「智頭急行」ができたのちは、「第3セクター」経由がメインルートになりました。JRが運営しててもおかしくない路線といえます。

すでに、廃止されてしまった路線では、三木、高千穂もこのグループに入ります。


(2)路線のある地域名を使っている場合。

青い森、三陸、秋田内陸、山形、いすみ、しなの、のと、愛知環状、信楽高原、京都丹後・・・10社

「京都丹後」はかつては「北近畿タンゴ」でした。兵庫県豊岡市も沿線になるので「北近畿」とし、地域名の丹後に音楽のタンゴをからませてカタカナ書きしてインパクトがありましたが、あまり特徴にない社名になってしまいました。また、かつては「タンゴエクスプローラー」というJR特急が乗り入れていましたが、これも廃止されました。

「青い森」は東北本線の並行在来線のうち青森県の部分で、インパクトがあるように「い」を入れたのでしょう。少し特殊ですが、地域名を使っていることにしました。

「いすみ」はもと木原線でしたが、起点である大原のある大原町がいすみ市になり、終点がある大多喜町も夷隅(いすみ)郡にあるので「いすみ」が採用されたようです。もとの木原線は、木更津と大原を結ぶ計画から名付けられましたが、木更津側は建設にもならなかったのでわかりにくく、「第3セクター」化のさい採用しなかったのでしょうね。

「のと」は能登線と七尾線一部区間を転換した会社ですが、七尾線も含んだことで、能登線というより能登半島から名付けられたと判断して(1)には入れず(2)にしました。なお、現在では、もとの能登線の区間は廃止されてしまっています。

「山形」は、線名の「フラワー長井線」が多用されているでしょうから、あまり問題はないと思いますが、山形県のどこなのかわかりにくいですね。

すでに、廃止されてしまった路線では、もと池北線の北海道ちほく高原鉄道がこのグループに入ります。ここでは分析の対象にしませんでしたが「ふるさと銀河線」という線名はよかったのですが、廃止されてしまいました。

もと富山港線は、一時「第3セクター」の富山ライトレールになりました。LRT化しての営業なので、LRTであることがわかるネーミングにしましたが、私鉄の富山地方鉄道に吸収合併されました。


(3)沿線にある有名な地名を使っている場合。

由利高原、阿武隈急行、わたらせ渓谷、天竜浜名湖、長良川、錦川、阿佐海岸、南阿蘇、くま川・・・9社

川の名が多いです。「阿武隈急行」は、山地名もありますが、阿武隈川に沿う区間があり、川が由来と考えられます。渡良瀬川と球磨川は、やや難読なのでひらがな書きにしたようです。

「由利高原」は自分は転換前はしらない高原名でした。線名は「鳥海山ろく線」ですが、会社名も「鳥海山ろく」にした方がわかりやすかったような気もします。

「阿武隈急行」は、旧・丸森線とその延長の建設線を合わせたものです。当初は東北本線のバイパス路線として考えられていたので、高規格で建設が始まりました。ところが東北新幹線ができても建設線が未完成で、バイパス線の役割がなくなってしまいました。途中で、規格が下げられましたが、それでも、赤字ローカルの第3セクターでは数少ない電化されている路線であるのは当初の計画通りです。もし、東北新幹線ができる前に完成していたら、一時的に特急が走っていたかもしれません。


(4)「路線のある地域名+一般名詞」の場合。

道南いさりび、ICGいわて銀河、えちごトキめき、あいの風とやま、IRいしかわ、土佐くろしお、平成筑豊、肥薩おれんじ・・・8社

並行在来線に多いです。並行在来線8社のうち6社がこのパターンです。路線のある地域名だけでは漠然としているうえ、インパクトを与えるため一般名詞を付け加えたのでしょう。

「えちごトキめき」は、地域名の越後と一般名詞の「ときめき」をつないだものですが、「トキ」だけをカタカナにしているのは、鳥の「トキ」もかけているものです。現在ある第3セクターの中では、一番工夫したネーミングだと思います。でも、過去にあったものも含むと、(2)に入りますが「北近畿タンゴ」が一番工夫が感じられます。「えちごトキめき」は2つの路線があるのですが、その路線名も「妙高はねうまライン」「日本海ひすいライン」と興味深い名前をつけています。
posted by とんび at 20:38 | Comment(2) | 鉄道

2020年07月23日

第3セクター

「第3セクター」は、純然たる公企業でないし、純然たる民間企業でもなく、国や地方公共団体それに民間企業などが共同出資した企業です。ただし、国や民間企業は出資せず、地方公共団体だけの場合もあります。「第3セクター」は多様な分野にありますが、その1つが鉄道です。

「第3セクター鉄道」といった場合、すぐに頭に浮かぶのは「旧国鉄の赤字ローカル線や旧国鉄の建設路線で開業後赤字ローカル線になることが見込まれた路線を引き受けた地方公共団体が出資する民間鉄道会社」と「JRが新幹線を開業する際に赤字が見込まれる並行在来線を引き受けた地方公共団体が出資する民間鉄道会社」です。この記事でも、この2つを対象としてまとめました。

しかし、正確に言えば、この2つ以外にも「第3セクター鉄道」はたくさんあります。東京近郊で言えば、公企業である都営地下鉄や横浜地下鉄、純然たる民間企業であるJRや大手私鉄以外の鉄道に多いです。ゆりかもめ、りんかい線、つくばエクスプレス、多摩モノレールなどがそうです。東京メトロも以前は、公企業の営団地下鉄でしたが、民営化によって今は国と東京都が出資する「第3セクター」になりました。とはいえ、この記事では、そういった大都市近郊交通などを担うものは取り上げず、すぐに頭に浮かぶ「旧国鉄の赤字ローカル線と赤字が見込まれた建設路線」および「新幹線開業の際に赤字が見込まれる並行在来線」に限って扱います。

さて、ここからが本論です。

「第3セクター鉄道」(あくまで上記の2つの場合に限って)は40社ありました。うち、赤字ローカル線、建設路線を引き継いだのが32社、並行在来線を引き受けたのが8社です。

自分が今までに乗車した路線ですが、国鉄時代に営業していた赤字ローカル線と並行在来線は、当然、全部に乗車しています。乗っていないのは、国鉄時代に建設中だった10社12路線と赤字ローカル線を引く継いだ後、一部区間を路線変更した1社1路線(富山港線)です。また建設中だった路線でも3社3路線(愛知環状鉄道、京都丹後鉄道、智頭鉄道)だけは、開業後にすでに乗車しましたので、10社12路線には入れていません。

まず、北海道、東北です。

3セク1.jpg

赤字は第3セクターではなく、純粋な民間企業ですが、国鉄の赤字ローカル線を引き継いだということで、この表に入れました。しかし、この2路線ともに民間企業のもとで廃線になりました。

三陸鉄道は、4つの国鉄路線と2つの建設中路線をまとめた路線で、営業距離の161qは「第3セクター鉄道(ここで扱う2つの場合に限る)」では最長です。

未乗であるのは、東北の3社4区間です。

つぎは、関東、中部です。


3セク2.jpg


富山港線は第3セクターの富山ライトレールが引き継ぎましたが、その後、民間企業の富山地方鉄道に吸収合併されました。また、第3セクター引き継ぎの際、LRTになり、富山駅のすぐ近くだけは別路線に変更になり、もとの区間は廃止されました。

のと鉄道は、もともとは100qを超える長大な路線を有していましたが、かなりの部分が廃止されて、今は短くなりました。

愛知環状鉄道は、もと岡多線だった区間は国鉄時代に乗りましたが、建設中だった区間も開業後に乗車しました。

つぎは、近畿、中国、四国、九州です。


3セク3s.jpg
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京都丹後鉄道は、国鉄時代に宮津線は乗車し、福知山〜宮津は宮福鉄道として開業したのちに乗車。その後、宮津線も第3セクター化されるにあたって、北近畿タンゴ鉄道になりました。その後、京都丹後鉄道になりました。また、「第3セクター鉄道」の中では珍しく、一部区間が電化され、JR特急が乗り入れているのも特徴です。(会津鉄道の一部と野岩鉄道も電化され、東武特急が乗り入れているのが特徴ですが、JR特急となると珍しいと思います。)

JR特急が走らない電化された「赤字線、建設線だった第3セクター」としては、北越急行、愛知環状鉄道、阿武隈急行があります。北越急行は、以前は、東京から金沢への短絡ルートの一部となり、越後湯沢から金沢までの特急のルートでしたが、金沢まで新幹線ができてからはJR特急がなくなりました。愛知環状は、国鉄の岡多線のときから電化されていて、赤字ローカルでは珍しい電化路線でした。いまもJR特急が走らない電化路線です。一方、非電化だがJR特急が走る第3セクターとしては、智頭急行があります。関西から鳥取へのJR特急は、智頭急行が開通して以後、このルートを走るようになりました。智頭急行は建設線である第3セクターの中で乗車済の路線の1つですが、そのときも特急に乗りました。

「第3セクター鉄道」で完全廃止にいたったのは、上の表にある三木鉄道、高千穂鉄道、それに北海道ちほく高原鉄道、神岡鉄道の4社です。高千穂鉄道は水害で鉄橋などの被害が大きく、そのまま復旧できずに廃止になりました。
posted by とんび at 22:21 | Comment(4) | 鉄道

2020年07月22日

近畿は南海、九州は西鉄の廃線が多い

今回は、近畿のうち京都市電以外、中国、九州の私鉄で乗車したけど廃線になったところです。(四国にはありません。)

先に近畿です。

廃止近畿私鉄.jpg


大手私鉄では、京阪と南海にありますが、京阪の場合は、赤字のためではありません。京津線の三条〜四宮で路面電車タイプ(蹴上〜四宮は専用軌道)の電車が走っていましたが、同じ道路の地下を京都地下鉄東西線が通ることになったために廃止されました。京阪京津線は三条〜浜大津だったのですが、四宮〜浜大津と京阪本線から切り離された路線になりました。電車の方は京都地下鉄に乗り入れて、京都市役所前〜浜大津で運転されています。

南海の場合は赤字のための廃止で、天王寺線、平野線ともに専用軌道の区間のほうが長かったのですが廃線になりました。近年では、2016年にすでに阪堺電車になっていた一部区間の住吉〜住吉公園の廃止がありました。自分が乗車した当時は、天王寺駅前〜住吉公園という系統がメインでしたが、近年、天王寺駅前〜我孫子道という系統がメインになり、住吉公園発着の系統は朝だけ数往復という状態が続いていました。そして、朝だけの運行もやめになったわけです。もっとも、住吉公園の停留所がなくなっても、住吉までわずか0.2kmだし、住吉鳥居前の停留所もすぐそばにあるので、廃止の影響はゼロです。あと、和歌山港線の末端区間の和歌山港〜水軒は、1日2往復で乗るのに苦労しましたが、廃止されました。

その他の私鉄では、京都北部で加悦鉄道に乗りましたが、北丹鉄道は乗りそびれました。北丹鉄道が走っていたルートにはその後、第3セクターの宮福鉄道ができ乗車しました。ここは、北近畿タンゴ鉄道さらに京都丹後鉄道となり現在に至っています。和歌山にはローカル私鉄がいくつかありましたが、野上電鉄、有田鉄道がなくなり、紀州鉄道が短くなりました。兵庫では、貨物がメインだった別府(べふ)鉄道、わずかな本数だけ運行されていた能勢電鉄の川西能勢口〜川西国鉄前が廃止されました。


私鉄廃止中国九州.jpg


中国の廃止私鉄は岡山県に集中しています。下津井電鉄は軽便鉄道で、並行する道路が未整備でしばらく生き残りましたが、瀬戸大橋ができてしばらくしてから廃止されました。岡山臨港鉄道、片上鉄道は国鉄駅と接続していて、乗りやすかったです。

九州では西鉄の路線が多く廃止されました。このうち、146〜149は北九州線と総称される北九州市内の路面電車です。北九州市内とはいえ、門司から折尾だとかなりの距離があり、時間をかけて乗りました。駆け込みで乗ることができたのですが、その少し前には福岡市内線も全廃され、こちらは乗るのが間に合いませんでした。宮地岳線はいまは貝塚線になっていて、国鉄香椎線と合わせて乗車しました。

島原鉄道は乗車ののち雲仙普賢岳の火砕流災害で島原外港〜加津佐が長く運休し、復旧しましたが、結局その後廃止になりました。熊本電鉄は今よりも長い路線だった時代に乗ることができました。鹿児島交通は、国鉄指宿枕崎線とは別ルートで枕崎に至る路線でした。枕崎駅の駅舎は鹿児島交通のもので、国鉄はその端のほうを使うという感じでした。鹿児島交通の廃線で、JRのほうは駅舎がない状態になりましたが、その後、新たな駅舎が作られました。小さな駅舎ですが、かつての鹿児島交通時代を思いださせるデザインです。鹿児島市電は一部が廃止されました。
posted by とんび at 11:20 | Comment(2) | 鉄道

2020年07月20日

路面電車で乗車済廃止区間最長の京都市電

西日本の私鉄は1回ですむと思っていたのですが、京都市電がかなりのボリュ−ムがあり、2回にわけました。今回は、中部のうちJR西日本エリアと近畿のうち京都市電です。京都市電以外の近畿と中国、九州は次回にします。

まず中部のうちJR西日本エリアです。

北陸私鉄廃止.jpg

北陸にも私鉄はかなりあったのですが、自分が乗車しようとしたころには金沢市内線など北陸鉄道のいくつかの路線や尾小屋鉄道などがすでに廃線になっていました。それでも、北陸鉄道の新寺井から白山下までの結構長い路線は廃止に間に合いました。この線に乗った後、金沢へ向かいましたが、その路線はいまも健在です。

いまも残る元の加越能鉄道(いまは万葉線)で高岡から越の潟に向かい、県営のフェリーで対岸に渡り、新港東口から新富山に至るルートも乗ったことがありますが、富山側の射水線は廃止されました。富山市内線も一部が廃止されましたが、その後あらたに開業した区間の方が長いです。

そして、何と言っても北陸で乗った路線で特筆すべきは、立山アルペンルートの一部でもあった扇沢から黒部ダムへのトロリーバスです。なんせ、自分が日本で乗ったトロリーバスは、この下で書く京都市電のトロバス区間とこの区間だけです。トロバスといえば、大都市での路面電車の代用というイメージが強いのですが、ここは北アルプスの下を通るトンネルの区間で、環境対策としてトロバスが運行されたようです。しかし2017年に電気バスに転換されました。

ところで、このトロバスの廃止がいつか調べているときに、別のトロバス運行区間があることを発見しました。(トロバスも鉄道の仲間なので、未乗区間になります。)同じ立山黒部アルペンルートの室堂〜大観峰3.7qが、1996年に環境対策としてトロバスになっていました。ここも全線が北アルプスの下のトンネル区間で立山黒部貫光が運行しているのですが、見逃していました。この区間は、立山黒部アルペンルートを旅したときに通っていて、このときはディーゼルバスだったのです。立山黒部アルペンルートは、抽選で当たらないといけない上部軌道のルートがあり、ここへはいづれ行こうと思っていましたので、上部軌道と合わせていくことにします。


廃止京都市電.jpg

次に近畿なのですが、京都市電の区間がたくさんあり、今回は京都市電だけをまとめました。京都市電は小学生のときから、親せき宅の訪問で、親に連れられて乗車したこともあって、よく利用していました。親せき宅から繁華街や観光地に行くこともあり、その時には市電を使っていました。かなりの路線や系統に乗れましたし、車両もかなり時代物の木製の車両に乗ったこともあります。トロリーバスもその時に乗れました。それでも乗れなかった区間もありましたが、ほかの大都市と比べて、ほんの5,6年ですが廃止の進行具合が遅かったのも幸いして、早く(昭和36年)に廃止されていた狭軌の北野線を除いて、全区間を乗車することができました。

乗車区間の合計(北野線を除く営業区間の合計とも一致)は74qあり、これは、東京都電、大阪市電、名古屋市電についで、日本の路面電車では4番目の路線延長でした。また、自分が乗車した私鉄(公営交通も私鉄に入れるとして)の中で廃止区間の延長が2番目に長いんです。一番長いのは、前回にとりあげた名鉄です。また、路面電車に限れば、ほかを圧倒して延長が長いです。

京都市電路線.jpg

廃止区間をたくさん列挙しましたが、ほかの大都市と違って、路線網がとてもわかりやすいです。上のような略図も他の大都市に比べてとても描きやすいです。路線のうち、郊外へ延びていた伏見線、稲荷線を除くと、ほとんど全部が東西の路線か、南北の路線かどちらかだったからです。

東西の路線が、北から、北大路、今出川、丸太町、四条と梅津、七条、九条でした。梅津線は無軌条電車(トロリーバス)でしたが、通っていたのは四条通で四条線の延長と言えました。(なお、梅津線は自分が日本で乗車したトロリーバスの2区間のうちの1つで、都市交通に限れば、唯一乗車したトロリーバスでした。)

また南北の路線が、西から、西大路、千本大宮、烏丸、河原町、白川でした。千本通と大宮通はどちらも北大路通から九条通まで続く南北の通りですが、路面電車は、北大路から三条通までは千本通、四条通から九条通までは大宮通を走りました。それで、三条通から四条通の間だけは、碁盤の目によらず斜めの路線になっています。それで、路線名としては千本大宮線となっています。

碁盤の目状の路線であったためか、ほかの都市に比べて、循環系統がたくさんあったのが特徴でした。車庫は、図にもある烏丸車庫のほか、四条大宮のすぐ北西の壬生車庫。白川線にあった錦林車庫、九条通の伏見線との交差のある大石橋のすぐ西にあった九条車庫にありました。丸い系統番号のサボは、車庫ごとに色が違っていて。烏丸車庫の系統は緑、壬生が赤、錦林が白、九条が青でした。市電路線を引き継いだ市バスは200番台です。

また、路線の交差点では乗換え券が発行されました。あと、朝ラッシュ時には急行運転が行われ、全部の電車が半分近い停留所を通過しました。
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2020年07月19日

東日本の私鉄の廃線は名鉄が最大で関東大手はわずか

続いて、私鉄で乗車したけれども廃止された区間の一覧です。

今回は東日本ですが、まず北海道、東北、関東です。

東日本廃止私鉄.jpg

北海道にはかつて夕張鉄道をはじめ、炭鉱路線の私鉄や拓殖軌道と呼ばれる開拓のための鉄道がたくさんあったのですが、自分が鉄道乗車に目覚めた1970年代の後半には、ほとんどが廃止されてしまっていて、かろうじて廃止間際に三菱石炭鉱業に乗車することができました。夕張線(廃止時は石勝線支線)とともに乗車しました。夕張線の途中駅の清水沢から乗車しました。夕張では、すでになくなった夕張石炭村に行ったりしました。函館市電は、現在よりも路線が多かったのですが、訪問したときには、五稜郭駅前への路線が廃止されてしまい、乗りそびれました。

東北地方の私鉄は現在は福島交通が残るだけですが、当時は数ヶ所ありました。南部縦貫鉄道はレールバスで有名でした。見た目や運転台がまさにバスのようでした。岩手開発鉄道は今は貨物専業ですが、当時はわずかに旅客営業をしていて、乗りました。ほとんど乗客がなく、旅客営業をやめたのも理解できます。同和鉱業は途中に大舘があり、運転系統は大舘でわかれていました。乗車したときには、花輪線の十和田市からバスで小坂に向かい、大舘へ、そして花岡を往復しました。栗原電鉄は、乗車後にわずか0.5kmほどですが、細倉マインパークに延長されたのです。延長区間に乗って、マインパークに行こうかと思っていたら廃止されてしまい、延長区間はのりそびれました。

関東地方は大手私鉄の廃止区間はわずかです。東武にはローカル線も多いのですが、廃止されたのは妻沼線だけでした。この路線はほかの東武の路線とは切り離されていて、秩父鉄道とつながっていて、また非電化の路線で、廃止やむなしかと思いました。西武の山口線は、西武遊園地からユネスコ村への軽便鉄道でしたが、西武遊園地から西武球場への新交通として生まれ変わりました。軽便鉄道時代には西武球場には駅はなく(確か乗車した当時は所沢球場っていっていたと思います)、西武球場からユネスコ村が廃止されたという扱いにしました。東急東横線はかつて桜木町が終点でしたが、その終点付近の地上区間が廃止になりました。関東の大手私鉄では、その3区間だけが廃止でした。

茨城県では、元関東鉄道の鹿島鉄道、筑波鉄道が廃止されました。また、鹿島臨港鉄道は鹿島港南への旅客営業が廃止されましたが、いまも貨物営業はおこなわれています。また、この区間の旅客営業が廃止された後に、新しい路線として北鹿島(現・鹿島サッカースタジアム)〜水戸が営業をはじめました。

次に、中部のうちJR東日本・東海エリアです。

東日本廃止私鉄2.jpg

まずJR東日本エリアですが、新潟地区に私鉄が少し残っていて、かろうじて乗ることができました。ほどなく廃止されましたが。また長野電鉄では、現在残っている湯田中への路線以外に、木島と屋代への路線がありましたが、廃止されました。

JR東海エリアですが、桃花台新交通は、名鉄小牧線の小牧から近郊の住宅地への新交通でした。日本各地にある新交通の中で、ここだけはなぜか廃止されてしましました。どうしてなのでしょう。

そして、名鉄の廃止路線がたくさんあるのが驚きです。三河線の南北の末端区間を別にすれば、あとはすべて岐阜県内の路線です。名鉄の岐阜県内の路線はかなりが廃止されてしましました。また、100〜105は岐阜市内線以外の路線も岐阜市内線に乗り入れていて、郊外電車と路面電車の中間的な感じの路線でした。三河線の末端区間や八百津線では、末期には電車の代わりに気動車(レールバス)での運行が行われるようになり、一度乗ってみようと思っていた矢先に廃止になりました。
posted by とんび at 20:19 | Comment(2) | 鉄道

2020年07月17日

福岡空港行き地下鉄直通の筑肥線を特筆すべき九州は廃線が福岡に集中

まず訂正その1。全線乗車したのは、最初に書いた通り1982年(昭和57年)でした。今回、筑肥線の事を書いていて気づきました。

訂正その2。北海道に未乗路線がありました。札幌市電の「すすきの〜西4丁目」0.4です。札幌市電は長らく、すすきのから西4丁目まで、ぐるっと街の南西部をほぼ一周していましたが、最後、西4丁目からすすきのまでは、路線がありませんでした。ところが、その区間もつながり、完全な「ロ」の字型の路線になりました。ここを忘れていました。

今回は、四国・九州で乗車した国鉄線のうち、廃止された路線の一覧です。

九州廃止.jpg

四国は少なく、九州は北海道ほどではないけれどもかなり多いことがわかります。四国のうち内子線。九州のうち筑肥線2区間は赤字のための廃止じゃなく、路線の変更によるものなので、それを除いて考えると、廃止路線は四国は1、九州は16あります。

九州の廃止路線を詳しくみていくと。ほとんどが国鉄時代に廃止されていることがわかります。九州を県別にみると、筑肥線2区間を別にして、福岡が8.5、佐賀が0.5、大分が0.5、熊本が1、宮崎が2、鹿児島が3.5区間(2県にまたがる場合は、0.5と0.5いう扱いにしました)になりました。福岡県に特に多いことがわかります。九州で第3セクターになったのは、平成筑豊になった3線(伊田、糸田、田川線)、甘木、松浦、南阿蘇、くま川があります(並行在来線の肥薩おれんじは除く)。第3セクター化された路線を入れると、福岡が12.5、佐賀が1、長崎が0.5、大分が0.5、熊本が3、鹿児島が3.5となり、福岡県が圧倒的に多いです。高千穂鉄道も健闘していたものの、台風で鉄橋が崩落した区間が復旧されないまま廃線になりました。

福岡県が特に多いのは、かつて日本最大の炭鉱エリアであった筑豊地区の路線が骨格になる路線を除いて、廃止または第3セクター化されたからです。もともと石炭輸送を主眼に考えていた路線で炭鉱が閉山したのちは、貨物がなくなり、一方で、旅客はさほど多くないので赤字がかさむのは当然でした。中には、勝田線にように福岡市のすぐ近くを走っていて、福岡近郊区間に入りながらも、列車本数が少ないために利用しずらく、客が少なかった路線もあり、本数を増やして、博多に直通にしていれば、廃止する必要がなかったかもしれません。

赤字ローカルであるための廃止ではなく、路線が変更になったための廃止が、四国の内子線と九州の筑肥線です。

予讃線経路.jpg

内子線ですが、もともと予讃線の五郎から内子までの枝線でした。以前の予讃線は、現在はローカル別線になっている下灘(”日本一海に近い駅"といわれる駅)経由の海沿いルートが本線で特急などが通っていました。そこに、山側に新しい本線が作られ、特急などは山側の路線を通るようになりましたが、内子〜新谷は、内子線を改良する形で行われました。そして、新谷〜五郎は緯線になりました。

廃止筑肥線.jpg

筑肥線ですが、もともとは博多から姪浜、虹ノ松原、山本を経て伊万里に向かう路線でした。ところが、福岡地下鉄1号線(開業当初は博多発でしたが、のちに福岡空港発になりました)の開業のさい、並行する筑肥線の博多〜姪浜は廃止されました。そして、姪浜から先は電化されて、地下鉄と相互乗り入れをはじめました。同時に、唐津付近でも路線変更があり、虹ノ松原〜山本が廃止され、かわりに虹ノ松原〜唐津が新設されました。さらに唐津〜山本は、唐津線と筑肥線の二重戸籍区間になり、また、唐津線の唐津〜西唐津も電化されて、系統上は筑肥線の一部のようになりました。

日本の空港の中でも、福岡空港は地下鉄が乗り入れていて、しかも短い区間の乗車で福岡都心に行けるのが大きな特徴です。都心への鉄道によるアクセスでは福岡空港は最も便利な空港だと思います。この空港線の地下鉄と相互乗り入れしているのが筑肥線ですが、乗り入れ開始のさいには複雑な路線変更があったことを記憶にとどめておきたいです。

posted by とんび at 21:41 | Comment(6) | 鉄道